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2019年10月2日水曜日

打席に立てることをよろこぼう!

「ほぼ日刊イトイ新聞」の原稿から厳選された、ボールのようなことば。
糸井さんからのボール、しっかりとキャッチしました(*^^)v


*  *  *  *  * 
どんな人にも、こどものころから、
心臓がバクバクするようなことがある。
少年サッカーであろうが、合唱コンクールであろうが、
なにかの試験であろうが、お見合いであろうが、
失敗したらどうしようという場面はある。 
そのときに、緊張感があることは、
実は「いいこと」なのだと思うのだ。
生きていて、チャレンジしているからこそ、
そんなふうな場に立っているということなのだ。
そういう場にいることが憧れであるような人だっている。 
失敗したらどうしようなんて考えるような時間には、
機会(チャンス)というやつが隠れているのだ。
だから、おもしろいのだ。 
ぼくは、よく「打席に立てることをよろこぼう」と言う。
怖かったり、緊張したりするような場面に、
「君が立っていい」と認められている。
それは、すばらしいことだと思わないか。
ああもしてやろう、こうもしてやろうと、
にやにや、わくわくしたらいい。
胸がドキドキだとか、心臓バクバクだとかは、
買おうとしても買えない機会なのだ。

~糸井重里「みっつめのボールのようなことば。」p.188-9より~

2019年6月5日水曜日

“愛と傷”

韓国のベストセラー本☆
『+1cm(プラスイッセンチ) たった1cmの差があなたの世界をがらりと変える』(2016年)



見方を少し変えるだけで、本当に世界が180度変わる本!
何より絵がかわいくて、絵本みたい♡


*  *  *  *  *
愛と傷
あなたの人生における、脇役の人たちに
むざむざと傷つけられてはいけない。 

そんなときには代わりに
人生において大切な役割を担う人たちには
愛され、大事にされていると思い出そう。
顔を合わせたことがあるだけの同僚が悪口を言ったとしても
昔から知っている人はあなたを正しく評価してくれる。 
通りすがりの人があなたを突き飛ばして行ってしまっても
助け起こし「大丈夫?」と心配してくれる人がいる。 
初対面の人に冷たくされても
そばで温かく思いやってくれる人がいて 
ライバルや知らない誰かが
あなたの能力を妬んだり、やる気をそごうとしても
あるがままの姿を信じて愛してくれる人たちがいる。 

あなたを、よく知っている大切な人がくれる愛の確かさと
あなたを、よく知りもしない他人が与える痛みは
決して釣り合うことはない。 

痛いの痛いのとんでいけ。 
心にはもらった愛だけ残そう。

~キム・ウンジュ(文), ヤン・ヒョンジョン(イラスト), 簗田順子(訳)『+1cm』, p.122-123より~

2019年3月31日日曜日

人生の主人公になる

前回も取り上げたお寺の住職、枡野俊明さんの本がとても良いです。
今回読んだのは『比べず、とらわれず、生きる』 。

例えば、とかく女性は「○○(家事や子育て)しかしてこなかった…」と言いがちですが、「私は○○(家事や子育て)をしてきました!」と堂々と言う。
胸を張ってそう言った時、人は「人生の主人公になる」という言葉が印象的でした☆彡



*  *  *  *  *
人生の主人公は、あなた自身
…禅でいうところの「主人公」とは、「本来の自分の姿そのもの」という意味を表しています。… 
「私の人生はこんなものなのか」
「どれがほんとうの私の人生なのだろう」
「自分自身が見えなくなってきた」 
と、こういう悩みを抱えている人に時おり出会います。
きっと、自分の生き方を真摯に見つめているからこそ出てくる悩みなのだと思います。
何も考えずに生きている人は、そんなことで悩みませんから。 
一生懸命に自分探しをしているからこそ生まれてくる悩み。
私はそういう人に対して言います。 
「今あなたが歩いている道。それがあなたの人生であることを信じてください。もしかしたらその道は、いつかは変わってしまうこともあるでしょう。それでも、道が変わるまでのあいだは、今歩いている道を迷うことなく進んでいくことです」と。… 
主人公になるか否かは、結局は、自らの心の持ち方次第だと思います。
今、与えられている環境の中で、一生懸命に自分に与えられた役割をこなしていく。
隣の道に気を取られることなく、今自分がやるべきことに、心を尽くしていく。
そんな気持ちで生きることこそが、人生の主人公になるということなのです。
「隣の芝は青い」といわれるように、人はついよそ見をしてしまいます。
他の人が歩いている道を羨ましく思う。
自分のいる世界がいかにもつまらないように思う。
淡々とした日常生活に嫌気がさすときもあるでしょう。  
しかし、よそ見をしたところで何もいいことはありません。
たとえば、隣を歩いている人のことを羨ましいと思い、自分もその道に入ってみたいと思う。
ところがいざ他人が歩いている道に入ってみたら、そこは歩きにくくて仕方がない。
当たり前です。隣の道は、隣の人の人生だからです。
他人の人生の舞台に顔を出したところで、あなたは主人公にはなれません。
主人公になれる場所とは、自分自身に与えられた道しかないのです。 
ときに自分が歩いている道が、どうしても合わないと感じることもあるでしょう。
どんなに努力しても歩きにくいと感じることもあります。 
しかし、人生とは面白いもので、本当にその人に合わない道であれば、必ずその先には分かれ道が現われます。

その分かれ道に出会ったときに、立ち止まって考えればいい。
道が分れることなく続いているときには、ともかく一生懸命に歩を進めることです。
今、あなたが歩いているその道を信じることです。
~枡野俊明著『比べず、とらわれず、生きる』 より~

2019年1月20日日曜日

「小さな悟り」②~人と比べない!


*  *  *  *  *
絶対、自分を嫌わない
―そのためには「人と比べない」こと

●自己嫌悪は、いつもここから生まれる
誰しも、自己嫌悪に陥ることはあるでしょう。
そんなときは、どうしてそうなったのかをよく考えてみてください。 
誰かと比べて自分のほうが下だと考えていませんか?
世間の価値観や評価と照らし合わせて、自分はレベルが低いと考えていませんか? 
そんなことは無意味です。
比較さえしなければ、ここに「あるがままの自分」がいるだけ。
何も嫌悪するほどのことではないのです。 
なぜなら、自分を測る“物差し” が元来、万人の価値を決めるほど正確にして絶対的なものではないからです。 
たとえうまくいかないことがあったとしても、それによって自分自身の価値が上がったり、下がったりすることはありません。 
仏教の教えでいうなら「露(ろ)」―過ぐることなく、欠けることなし。
自分という存在はそのまんまの自分なのです。
そもそも自分で自分を嫌って、どうするのですか。
それほどみじめなことはありません。
自分を一番好きになってあげられるのは、自分自身なのですから。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~

2019年1月14日月曜日

「小さな悟り」①~脱世間の平均!

昨年から『小さな悟り』という本を何度も読み返しています(^_^)
著者は『心配事の9割は起こらない』を書いたお寺の住職、枡野俊明(ますのしゅんみょう)さん。

ここ最近、何かと慌ただしく、気持ちに余裕が無かったのですが、だいぶ心が整いました(#^.^#)

心に余裕がある時に冷静に考えられるのは当たり前。

何か問題が起こった時、余裕が無い時にも周りに惑わされず、シンプルに考える!!
2019年はそう心掛けたいです♪


*  *  *  *  *
世間に照らし合わせない
―自分の価値観にしたがって生きる

●「ワンランク上の暮らし」という幻想 
マスコミは連日のように、「世間の平均値」のようなものを発表しています。 
たとえば年代別の年収の平均値や、結婚年齢は平均何歳だとか、マイホームを購入するのは平均何歳、平均貯蓄額はいくら、老後を豊かに暮らすための資金は平均いくら……もう平均だらけです。 
加えて、その平均値をもとに「ワンランク上を目指そう」的な特集記事・特集番組まで組まれています。 
そして「人並み以上」を気にする人たちは、その数字に踊らされて、がんばってしまうところがあります。 
それはいいかえれば、人並み以上に見られることを目標に生きるのと同じです。疲れませんか? 
「私はこういう生き方をしています。それがみなさんの目にどう映るか知りませんが、評価は勝手にどうぞ」でいいではありませんか。 
世間を気にせず、自分の価値観にしたがって自由に生きていけます。 
もともと実体のない世間というものの平均を表した数字に、どれほどの意味もありません。 
自分の感じる豊かさや幸せは、そういった平均値とは無縁なのです。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~

2018年7月16日月曜日

OSHOさんの言葉②

インドの宗教家・思想家、OSHOさん(1931-1990)の講話集、「Intuition」(直観)より。
OSHOさんの言葉に共感!


*  *  *  *  *
私はあなた方にこの話を聞いてほしい。
きっと役に立つだろう。
「動物学校」と呼ばれている物語だ。 
動物たちがある日、森の中に集まって、学校を始めることにした。
そこにはウサギ、鳥、リス、魚、ウナギがいた。
そして彼らは理事会を作った。  
ウサギはランニングを教材にするべきだと主張した。
鳥は飛翔を教科にするべきだと主張した。
魚は水泳を教科にしなければいけないと主張した。
そして、リスは垂直木登りは絶対に教科に必要だと主張した。 
彼らはこれらのことをすべて一緒にし、教科案内を書いた。
それから、彼らはすべての動物がすべての教科をとるようにと主張した。 
ウサギはランニングでAを取ったが、垂直木登りは彼にとって実に問題だった。
彼は後ろ向きに落ち続けた。間もなく、彼は脳損傷のようになり、もはや走ることができなくなった。
自分がランニングでAを取る代わりにCを取り、もちろん、垂直木登りでは常にFを取ることに、彼はやっと気が付いた。 
鳥は飛翔ではとても美しかったが、土に穴を掘ることとなると、あまりうまくできなかった。
彼はくちばしと翼を何回も折った。
間もなく、穴掘りでFを取ると同時に、飛翔でもCを取るようになった。
そして、垂直木登りでも悲惨な時間を過ごした。  
最終的に、クラスの総代になった動物は、すべてを中途半端に行ったウナギだった。
しかし、教育者はみな幸せだった。全員がすべての学科を取ったからだ。
そして、これは「広範な基礎を持つ教育」と呼ばれた。
私たちはこの話を笑うが、これは今のありようだ。
あなたに起こったことなのだ。 
私たちは実は、すべての人を他のすべての人と同じようにしようとしている。
そして、すべての人の自分自身でいる可能性を破壊しているのだ。…
全く新しい種類の教育が世界中で必要なのだ。…
誰一人として、他の誰かと同じではなく、それぞれにユニークだ――それが英知の本質だ――そして、それぞれは比べることができない。
あなた自身を誰かと比較してはいけない。
どうやって比較できるのだろうか?
あなたはあなたであり、他の人は他の人なのだ。
あなたたちは同じではなく、だから比較するのは不可能なのだ。

しかし私たちは比較するように教えられてきた。
そして、私たちはずっと比較してきている。
直接的に、間接的に、意識的に、無意識的に、私たちは比較の中で生きている。
そしてもしあなたが比較すると、あなたはあなた自身を全く尊敬しなくなる。… 
そして比較し続けると、あなたは悩み続ける。
何億という人がいるのだ。
あなたは自分の比較によって、押しつぶされるだろう。…

悩むのを止めなさい。重荷を下ろしなさい。全てを横にどけなさい。
あなたの無邪気さを、子供時代を取り戻し、回復しなさい。…
あなたは他の人によって教えられてきた――それはtuition(授業)だ。
あなたが教えられず、あなたの中で花開くもの、それがintuition(直観)なのだ。…
あなたはどこへもゆく必要はなく、あなた自身の内側へとゆく必要があるだけだ。
~「Intuition」, OSHO著(山川絋矢+山川亜希子訳)より~

2018年5月7日月曜日

OSHOさんの言葉①

翻訳家、山川夫妻の本に時々出てくるOSHOさんという謎の人物。。。
1931〜1990年、インドの宗教家・思想家として、たくさんの講話をされていたそうです。
日本でも、その講話をまとめた本が、いくつか出版されています。

最近読んだのは「Creativity」(創造性)。
「創造性」って芸術家とか、クリエイティブな才能を持った人のものだと思っていたら、誰もが今いる場所で、すぐにでも創造的になれるのだということを発見!!


*  *  *  *  *
創造的であることは、あなたがすること、なすことすべてを愛すること――楽しむこと、それを祝福することだ。
それは誰にも気づかれないかも知れない――床をあなたが掃除していたとしても、誰もあなたを褒めてはくれないだろう。 
歴史に残ることでもなく、新聞にあなたの写真や記事を載せてくれるわけでもない。
しかし、そんなことは関係のないことだ。あなたはそれを楽しんだ。価値はそこにあるのだ。
だから、もし、あなたが名声を求めており、有名になれば自分は創造的だと考えるなら――もし、ピカソのように有名になったら、自分は創造的だというように――あなたは大事なものを見失うだろう。
そのとき、あなたは実際には少しも創造的ではない。あなたは政治家だ、あなたは野心家だ。 
もし、名声がやってくれば、それはそれで良い。そんなことが起こらなくても、それで良いのだ。そんなことは考えなくても良い。
考えなければならないことは、あなたがしていることをあなたは楽しんでいるかどうかだ。それはあなたの愛の行為なのだ。
…
もしあなたが心から微笑むことができれば、そして、誰かの手をとり、微笑むならば、それが創造的な行為、それも偉大な創造的な行為だ。
あなたの心で、誰かを抱擁するだけで、あなたは創造的だ。
誰かを愛のこもったまなざしで見るだけで……愛のまなざしは誰かの全世界を変えることができるのだ。
…
人は誰もがこの世界へある特定の運命を持って生まれてくる――何かを満たすために、何かのメッセージを伝えるために、何かの仕事を完成させるためにだ。
あなたは偶然にここに来たのではない――あなたがここにいるのは意味があるからだ。
あなたの背後には目的がある。全体があなたを通して何かを成し遂げようとしているのだ。
~「Creativity」、OSHO著(山川絋矢+山川亜希子訳)より~

写真:https://twitter.com/osho_bot_jpより

2017年12月31日日曜日

「神様の配慮」

「神様の配慮」
~A Creed For Those Who Have Suffered~ 
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神様に求めた。
だが、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。 
より偉大なことができるようにと、健康を求めた。
だが、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。 
幸せになりたいと、富を求めた。
だが、賢明であるようにと、貧困を授かった。 
世の人々の賞賛を得ようと、成功を求めた。
だが、得意にならぬようにと、失敗を与えられた。 
人生を楽しみたいと、あらゆるものを求めた。
だが、あらゆることを喜べるようにと、質素な生活を与えられた。 
求めたもたものは、何一つとして与えられなかった。
だが、「人生の意味を味わいたい」「悔いのない生き方をしたい」という私の願いは、すべて聞き届けられていた。 
私は、今、気付いた。
私の人生は、あらゆる人の中で、もっとも豊かに、祝福されていたのだ。
~『神様が書いた4つの詩』(星野海[絵], おかのきんや[解説] )より~


来年も豊かな一年になりますように♡

2017年10月26日木曜日

「人はいくつになっても美しい」

世界最高齢の現役モデルとしてギネスブックにも認定されたダフネ・セルフさん♪
彼女が88歳の時に書いた自伝&エッセイ、「人はいくつになっても美しい」を読みました。

スーパーモデルというと、私たちとは全く違う世界に住んでいるのでは…と想像していましたが、普通の主婦&3児の母から70歳でモデル復帰…という経歴からも分かるように、その生活はとっても自然体。

年齢やブランドにこだわらず、本当にやりたいこと・好きなものに対して好奇心旺盛に、自分の信念を貫く、凛とした姿が素敵です。

ダフネさんのように年を重ねたい!と思わせてくれるお手本のような女性です☆


*  *  *  *  *
年齢はただの数字
歳を取ると、あたり前ですがシワもシミも増えます。体もどんどん弱ってきます。
それでも、年齢を重ねれば重ねるほど、美しく輝いて見える人がいます。 
私は、そんな人たちの持つ「美」とは、これまで歩んできた人生の経験と、経験によって授かった知恵が、その人のオーラになったものだと思います。

そういう人たちは、目の奥の輝きが違います。それに、表情も生き生きしています。
さまざまな経験を積んだ人の顔というのは、それだけで魅力的です。…

…ビューティーとは表面上の美しさだけを指すのではないと、私は思います。
心と外見は常にリンクしていて、それはつまり、自分がこれまで歩んできた人生が、はっきりと顔に映し出されるということです。

歳を取りなくない、と言う人がいますが、私にはどうもわかりません。
ちっとも怖がることじゃないのに、と思います。
それはいま言ったような理由からで、つまり年齢は私にとって、ただの数字でしかないから。

英語にはこんなことわざがあります。
「老いは誰もが通る道、成長は選んだ人が通る道」 
老いはみんなに訪れるけれど、成長は望む人にしか訪れない。
つまり、どう成長していくかはその人次第、ということ。
私の大好きな言葉です。 
~「人はいくつになっても美しい」より ~
 *  *  *  *  *


この動画の中のダフネさんも素敵☆
とても88歳とは思えない姿勢の美しさに目が釘付けです!
まさに、人はいくつになっても美しい!!

2017年8月30日水曜日

ほどほど ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅳ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの『103歳になってわかったこと』より、最終回のPart 4♪

*  *  *  *  *
自分の心が、ほどほどを決める
…私も長く生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりしてきましたが、どういう人の人生がいちばん幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。 
たとえば、あの人は素敵な人だったと思うけれども、その人の妻はどうだったかというと、苦労させられたのかもしれないと思いますし、この人は立派で尊敬できる人だったけれど、その人の子どもはどうだったかというと、親と比較されて悩んだ様子でしたし、いいことずくめの人は見つかりません。 
一つ得れば、一つ失うことは覚悟しなさい、ということなのでしょうか。
なにもかもが満足な人生はありえないようです。 
一方で、豊かになれば人は幸せになれると、人類共通して思ってきましたが、それもまた違ったようです。
私もずいぶん裕福な人を見てきましたが、裕福だから幸福だとは思えませんでした。
かといって、極度な貧乏もまた不幸です。 
それなら、一体どうしたら、人にとって一番幸福なのかと考えると、わけがわからなくなります。
どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。 
自分の心が決める以外に、方法はないと思います。
この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが一番いいと思います。
ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。 
私はまだ足りないと思う人は、いくらあっても足りません。
そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。
愛情を充分に与えられても、愛されていると自覚しません。
まだまだ足りないと思っているのですから。 
これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。 
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~

写真:篠田さんのアトリエ
2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より
*  *  *  *  *

上を見ればキリがなく、あれもこれも…とつい欲張りになってしまいます。
すると、なんだか心も体も疲れてしまう。

きっと、それは自分が本当に欲しているというより、「周りからこう見られたい…という他者目線」や「いつか何かの役に立つのでは…という未来目線」で物事を選んでいるのかもしれません。

もちろん、夢を描いたり、ワクワクすることは大事。
でも同時に、足るを知り、今、自分が心から本当にやりたいこと・欲しいものだけを選ぶようにすれば、人生はもっとシンプルで幸福感溢れるものになるのかもしれない…と感じました(^o^)

2017年8月27日日曜日

無駄の中の兆し ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅲ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの『103歳になってわかったこと』より。Part 3です♪

*  *  *  *  *
1+1が10になる生き方 
人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。… 
無駄にこそ、次のなにかが兆しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、兆しには気がつかないものです。 
無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。 
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。 
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。 …
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。…
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。 
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。時間も無駄にしています。 
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。 …
無駄はよくなる必然だと思っています。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~


写真上:ホテルのロビーに飾られている篠田さんの作品「人よ」
写真下:「人よ」制作中の篠田さん(当時92歳)

2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より 
*  *  *  *  *

何かに失敗して落ち込んでいる人。
今までやってきたことに意味はあるのか?…と考えてしまう人。
今、自分がやっていることは無駄なのでは?…と感じている人。
などなど・・・・・・

篠田さんからすべての人へのメッセージ♡

やっぱり無駄なことなんて1つもない!!!

2017年8月20日日曜日

人とは ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅱ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの本、『103歳になってわかったこと』より。
共感した言葉Part 2です♪

*  *  *  *  *
先日、私の若い友人が、かつて、二人の同級生を自殺で失ったことを、打ち明けてきました。… 
若い友人は、同級生がなぜ自殺しなくてはならなかったのか、自分になにかできたのではないかと、積年、そのことが心の底にある様子でした。 
私は、納得しようとするのは、あなたの思い上がりです、と言いました。
人というものは、納得できないことのほうが多い。
自分たちの知恵では、わからないことのほうがずっと多い、と長く生きてきた年の功で教えました。
ですから、なぜ自殺したのか誰にもわからない、と。
人というのは不思議な生き物、かんたんに割り切れるものではないと私は思っています。
とても偉いものでもないし、そう愚かなものでもないとは思いますが、不思議な生き物です。 
人というものが、どういうものであるか、わからないから、文学、芸術、哲学、さまざまな活動をして、人は模索しているのです。 
なんでこんなことをやるのだろう、ということを一生懸命にやっているのです。… 
人はみな、なにかにすがっていたい、どこかによりかかるものがほしい。
その一役を買ってくれるのが、なにかに夢中になることだと思います。 
そして、芸術、スポーツ、宗教など、さまざまなものを生み出しているのだと思います。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~

写真:2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より 

2017年8月19日土曜日

時間からの解放 ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅰ~

美術家、篠田桃紅(しのだとうこう)さんの本、『103歳になってわかったこと』を読みました。

篠田さんの既成概念に捉われない、枠に収まらない生き方は、読んでいて心地よく、共感できる言葉がたくさんありました!

何回かに分けて、ご紹介したいと思います♪


*  *  *  *  *
規則正しい毎日から自分を解放する 
私は、これまでスケジュールもなく生きてきました。
一切、スケジュールを立てません。
予定とか目標とかいうものを、あまり好まないからです。
自然のなりゆきにまかせて、生きています。… 
自分に規律というものは課さないし、外からも課せられないようにしてきました。
縛られたくないから目標も立てません。 
なにか目標を決めると、それに向かってやみくもに一生懸命になってしまいます。
そうすると、ほかが見えなくなります。 
私は、ほかにすごくいいものがあっても、目標のために、見逃してしまうことがいやなのです。 
人生は、道ばたで休みたいと思えば、休めばいいし、わき見をしたければわき見すればいいと思っています。 
今日中にあそこまで行かなければならないと決めるやりかたより、自然のなりゆきに身をまかせるほうが、無理がありません。
そのほうが私の性に合っています。 
規則正しい毎日がいい、とされていますが、なにをもって正しいのでしょう。
毎朝、決まった時間に起きて、食事をするのが規則正しいのか。
私は、一般的に規則正しい、とされていることからは、はずれた毎日を送っています。 
私の仕事は、絵を描くことですが、何時から何時まで描く、と決められません。
描いているうちに、夜が明けてしまうこともあります。
毎日、自分勝手な生き方をしています。 
規則正しい生活が性に合う人もいるでしょう。
計画を立てないとならない事情も、ときにはあるでしょう。 
しかし、あまりがんじがらめになると、なにかを見過ごしたり、見失っていても、そのことに気がつきません。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 より~
*  *  *  *  *

そもそも、時間や時計は人間が作り出したものです。
大昔、人はもっと自然や自分の感覚に頼って生きていたのではないでしょうか。
だから、私たちの中に流れている時間の感覚というのは、今でも人によって違うような気がします。

私も小さい頃は、何をするにものろい…と言われた子どもでした。
銀行で働いていた頃は、「何時までにこれ、何時までにあれ…」と時間に急きたてられ、他の同僚たちのようにサクサク仕事をこなせず、毎日のように残業していました。

それは今なお変わらず、のんびりペース…
長年ずっと、周りの時間の流れの速さが、自分とは合わないような気がしてなりませんでした。

これを読んで、何か胸にストンと落ちた感じ。
こうでなければならない…という枠組から、また1つ解放された気がします(^_^)/

2016年7月21日木曜日

「母という病」

実家との行き違いをきっかけに、前から気になっていた『母という病』という本を読みました。
著者は精神科医・作家として人々の心の問題に向き合う岡田尊司(タカシ)さん。

親子関係ってどうしても感情的になりやすい( ´д`ll)
この本では多くの事例を客観的に見ることができて、ずっと心の中でモヤモヤしていたものが少し整理された感じがします。

まずは「事実と気持ちを切り分け、事実だけを冷静に見つめること」、そして良い面を評価し、感謝を心がけるという対処法にも納得☆

何より、“母という病”(=親との愛情問題)を抱えていたのは、子どもの私というより実は親の方だったのかも…?!と気付けたことは大きな収穫でした。

戦後の混乱を生き抜いてきた親世代は兄弟も多く、父親が戦地に出向いたり、生活苦の中、親に甘えたくても我慢してきた人が多い気がします。
時代や環境が人間に及ぼす影響って想像以上に大きいものなのですね。。。

ちなみに、同じ著者で『父という病』という本もあります。

いま親子関係、ことに母親との関係に悩み、苦しんでいる人が増えている。… 
母親とぎくしゃくしたり反発したり、見るからに不安定な関係を抱えている人だけではない。
表面的には、すごくいい母と子に見えるような場合にでさえ、実は子どもの方が、母親に合わせ、支配され、その無理が別の形で表れているというケースも少なくない。 
自覚するにせよ、そのことから目を背けているにせよ、母という病はその人の人生を知らずしらず蝕んでいる。
それによって、得体のしれない生きづらさや、空虚感、自己否定感に悩まされているという人は少なくない。 
一体なぜそんなふうに自分は苦しんでいるのか、わからないままにもがいていることが多い。 …
相手の顔色ばかりうかがい、本音は言えず、相手に合わせ、損な役回りばかり引き受けてしまう人も、なぜ自分はそんなふうにしか生きられないのか、わかっていない。… 
親との関係など、取るに足りない問題だと思っている人も少なくない。
ある意味、そう思うことで、これ以上、落胆させられたり、傷つけられたりすることから自分を守っている。 
親との間に軋轢や違和感を自覚している人は、まだ、問題と向き合っていると言えるかもしれない。
同じくらい多くの人が、母親との関係は良好だと思っているものの、その実、一方的に忍従を強いられたり、過剰とも言えるほど親に尽くしていたり、親と子の立場が入れ替わっていたりする。 …
母という病は、単に親子関係の問題ではない。
…その人の存在の根底にかかわり、人生を大きく変えてしまうほどの影響を、いつのまにか及ぼしてしまう。… 
本書は母という病に向き合い、その人の身に何が起きるのかを理解し、そこから回復するための手がかりを提供するものだ。
本書とともに、ご自身の人生を振り返る中で、また今の生き方を見つめる中で、わだかまっていた母という病が、純化された結晶となって、かけがえのない宝物へと変わることを祈りたい。
~『母という病』 序章(p.14~22)より~

2016年5月6日金曜日

2つの心♡♡ ~「リトル・トリー」 より

少し前に『リトル・トリー』という本を読みました。
インディアン(チェロキー族)である祖父母との生活を綴った、著者フォレスト・カーターの自伝です。


祖父母の大きな愛情を一心に受け、リトル・トリー少年はインディアンの生き方を学び、成長していきます。
子ども向けの本かなと思ったら、とても深い教えが書かれていました。

祖母は話しつづけた。
「だれでも二つの心をもってるんだよ。
ひとつの心はね、からだの心(ボディー・マインド)、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。
からだを守るためには、家とか食べものとか、いろいろ手にいれなくちゃならないだろう?…
でもね、人間はもうひとつ心を持ってるんだ。… 
それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。
いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。 
からだが死ぬときにはね、からだの心(ボディー・マインド)もいっしょに死んでしまう。
でもね、霊の心(スピリット・マインド)だけは生きつづけるの。
そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。 
ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心(スピリット・マインド)しか持ってなかったらどうなると思う?
生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの霊の心(スピリット・マインド)しか持てない。
だから、何も深く理解することはできないんだ。 
それで、からだの心(ボディー・マインド)がますますのさばるから、霊の心(スピリット・マインド)はますます縮んじゃって、しまいには豆粒ぐらいになって、見えなくなっちゃうかもしれない。
もう霊(スピリット)をなくしちゃったのとおんなじだよね。… 
霊の心(スピリット・マインド)ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。
どうやって使うかっていうと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。 
からだの心(ボディー・マインド)の言うままになって、欲深になったりしないこと。
そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。
努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。 
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。
でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
理解してもいないくせに愛してるふりをする。それじゃなんにもならない」  
ぼくはすぐに心に決めた。すべての人を深く理解するよう努力しようと。
ヒッコリーの実の大きさの霊(スピリット)しか持てないなんていやだから。
(p.75~76)

現代の私達でさえ子どもに教えないようなことを、昔からチェロキー族は年長者から子どもへと優しい言葉で受け継いでいたことに驚きました。
そして、1つ1つの教えに素直に耳を傾けるリトル・トリー少年のけなげな姿に感動☆

やはりインディアンの精神世界には惹かれるものがあります♡♡

2015年3月7日土曜日

とことん休む

前回に引き続き、雑誌「暮らしの手帖」編集長である松浦弥太郎さんのエッセイ<Part 2>です。 

前回のブログを読んで下さった方が、早速松浦さんの本を図書館で予約してみたそうで(^^♪
予約待ちで時間がかかりそうだったため、初めて「暮らしの手帖」を買ってみたところ、

「日常のひとコマを大切にするような感じで、読んでいて心地よかった…」

という感想を頂きました~(*^_^*) 嬉しい♡
まさに、この本もそんな内容です♫


落ち込んだとき、僕はとことん落ち込みます。
どん底まで落ちていく気持ちで、一人で引きこもったりします。
外からのあれこれを遮断し、「逃げ場所」に非難の旅をすることすらあります。

泣きたくなることは、たくさんあります。死にたくなることも、たくさんあります。
大人で、父親で、仕事人であっても、それが僕という人間であるし、ほとんどの人はそうでしょう。
だったら、誤魔化すことなんてないのです。

心がふさぎこんでしまったら、自分を休ませてあげましょう。
一週間かもしれないし、十日かもしれない。
重病になったと見なし、自分で自分に正々堂々と休暇を与えるのです。
生きていく最少単位は「自分」なのですから、それを優先して大切にすることは、わがままでも身勝手なふるまいでもありません。

心の病気には薬がありますし、まわりのみんなも気遣ってくれることでしょう。
しかし最後に助けてくれるのは、ほかならぬ自分です。
奈落の底まで落ちてしまったとき、自分以外、手を差し伸べられる存在はないのです。

落ち込んだら、お酒を飲んだり遊びに行ったりして、紛らわしてはいけません。
悲しいとき、涙をこらえてにこにこ笑っていてはいけません。
大人だからってクールな顔で、なんでも我慢してはいけません。

嘆きましょう。悲しみましょう。声をあげて、わんわん泣きましょう。
体がおかしなとき、嘔吐をこらえてもしかたがないのと同じように、たまってしまった苦しみは、思い切って吐き出すのです。

そして涙が枯れる頃、いちばん恐ろしいもの――自分が抱えている闇そのもの――と向き合えば、いつか必ず乗り越えられます。
乗り越えたあとは、不思議と強くなっているものです。

何かいやなことがあって乗り越えられない友だちがいれば、僕はこう言います。
「泣き足りてないんだよ。どこかで我慢しているんじゃない?」
さて、あなたは、最近、ちゃんと泣きました?

○落ち込んだときに逃げ込む場所を確保しておきましょう。一冊の本でも、近くの公園でもいいのです。
○自分を見つめるのはこわいことですが、勇気を出す価値はおおいにあります。

~松浦弥太郎 『暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日もていねいに。』 (2008年)~

2015年2月15日日曜日

壊れたときがスタート

雑誌「暮らしの手帖」編集長の松浦弥太郎さん。
高校をドロップアウトし、アメリカで放浪後、肉体労働をしながら路上で本を売っていたそう。
現在は書店の経営、文筆業、編集長…と幅広くご活躍されています。

松浦さんの本には共感できる部分がたくさんあったので、2回シリーズでご紹介したいと思います(*^_^*)✎


ラジオでも鞄でも、自転車でも同じです。この世に存在するもので、壊れないものはありません。
「もうさんざん使ったし、新しいものを買ったほうが安あがり」というのが世の流れかもしれません。
それでも僕は、壊れたものを修理して使うほうが好きです。
ものは壊れるという大前提があるから、そこがスタートだと思います。…

人とのつきあいもこれと同じです。
ぶつかり合って摩擦がおき、壊れたりひびが入ったときがスタートだと思っています。

なごやかにしているだけのかかわりなど、浅いものです。
トラブルが生じ、気持ちをむき出しにして傷つけあい、これまでのつきあいが壊れたとき、初めてその人との関係が始まるのです。

人の気持ちはものより壊れやすくて、何回でも壊れます。
そのたびに僕たちは、分かれ道に立つことになります。

いさかいから逃げ出し、この人との関係を捨ててしまおうか。
それとも、ひるむことなく正面から向き合い、懸命に丹念に関係を修繕しようとするのか――。

僕はいつも後者を選びます。
それはものを直すのと同じく、いや、はるかにタフな試練ではあります。
体裁のよい顔をかなぐり捨て、言いにくいことも恥ずかしいことも言葉にし、ときには子どもみたいに泣きながらその人と向き合う。
これは生半可な気持ちではできません。

それでも傷やほころびがていねいに直されたとき、きっと関係は一段と深く、豊かなものになっているはずです。
おだやかで満ちたりた気分が味わえるはずです。

豊かさとは目に見えるものではなく、そこに隠された物語だと思います。…

人とのかかわりも、「あんなこともあったけれど、自分たちは乗り越えてきたな」と思い出せる出来事があればあるほど、豊かになります。
恋人時代から一度も喧嘩をせず連れ添っている夫婦がいたら、なんだかさびしいし、不思議な気がするのは僕だけでしょうか。

ものは経年劣化で磨(す)り減ることもありますが、人とのつきあいの場合、馴れ合いになって摩擦が起きないことのほうが危険です。
壊れることが大前提だと思えば、真正面から相手にぶつかっていくこともできます。
大勢ではなくても、そんな相手が何人かいれば、豊かな人生となるはずです。

~松浦弥太郎 『暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日もていねいに。』 (2008年)~

2015年1月18日日曜日

物事がうまくいかないとき

あっという間に今年も半月が過ぎてしまいましたが、
みなさま今年もよろしくお願いいたしますヽ(^o^)丿

ところで、人生では人間関係、仕事など…すんなり事が進まない時ってありますよね。
物事がうまくいかないときは、「うまくいかないほうがいい」理由があるそうです。

…ということで、今日はスピリチュアル・カウンセラーの江原さんの本より…✎

物事が行き詰まったとき、あなたならどうしますか?
絶対にしてはいけないのは、ゴリ押しすることです。
無理やり物事を動かそうとしても、いっそうこじれて苦しむだけです。

まず必要なのは、たっぷり休養をとることです。
それも、飲みにいったりするのではなく、ひとりで静寂の中に身をひたしましょう。
昔の人は、茶道や書道をたしなむ中で、静かなひとりの時間を持つことができていました。
これは先人の知恵といえるでしょう。そうやって静かに過ごしながら、自分の心の中を見つめていたのです。

今、行き詰まっている原因は何だろう。自分の行動、周囲への働きかけ、考え方、心のあり方に問題はなかっただろうか。
行き詰まったときはそんなふうに客観的に自分を見つめ直すのが最善の方法です。
そうすれば問題のありかはわかってきます。

少しのんびりかまえてみましょう。
押してもダメなら引いてみること。それでもダメなら「時」を待つことも大切です。
つらいかもしれませんが、少しの間我慢することで、流れが変わる場合が確かにあります。
それを信じて、少し待ってみてください。

まず心を静めて、「何が問題なのでしょうか?」「何かいい方法を教えてください」と、ひたすら念じてみましょう。
「念じる力」をあなどらないでください。念じれば必ず「答え」を受け取ることができるのです。
あなたは守られている存在だと、心から信じてください。

そして、たとえ短時間でも、ひとりきりで静寂の時間を持ち、自分の心を内観してみましょう。
必ず、いろいろな道が見えてきます。

物事が行き詰まるときは、苦しくて、つらいものです。けれど、それは警告であることが多いのです。
苦しさやつらさから目をそらさずに、「メッセージ」を受けとめてください。
そこからあなたが何を学ばなければいけないのか。それを考えてみるのです。

うまくいかないときは、うまくいかないほうがいい理由があるのです。そのことに気づいてください。
決して焦らないでください。いつかはすべて、おさまるべきところへおさまります。

~江原 啓之 『スピリチュアル生活12ヶ月』 (王様文庫、三笠書房、2001年)~

2014年12月4日木曜日

あなたの魂&天命は??

私たちは必ず誰もが何かの“使命”を持ってこの世に生まれてきているといいます。
そして、その“使命”は私たちの「個性」=「魂」と呼ばれる部分に刻みつけられています。

「心」は揺れ動くものだけど、「魂」は不動のもの。「魂」とは「心」の奥にある基礎の部分です。
だから、自分の「魂」を知れば、「この世に何を求め、何をするために生まれてきたのか」(天命)が分かる…という画期的な本を書かれているのがかがみ知加子さんです。

子育ての場合も、あちこち揺れ動く子どもの「心」に働きかけるのではなく、その向こうにある「魂」が伝えようとしていることをキャッチすると良いそう(^o^)


☆「うちの子ってどうしてこうなの?」の悩みが消える! 
(かがみ 知加子、現代書林 、2013年9月)

では、どうやって自分の「魂」を知るのでしょう…?
私たちはみな4種類の「魂」を持っています。
そのうち、どの「魂」の性質が強いか、下の簡単な質問で見ていきます。
みなさんはどれに当てはまりますか?


♠情熱的(ホット)で合理的(ドライ)なら→「勇(ゆう)」
♥情熱的(ホット)で情緒的(ウェット)なら→「愛(あい)」
♦冷静(クール)で合理的(ドライ)なら→「智(ち)」
♣冷静(クール)で情緒的(ウェット)なら→「親(しん)」

私は「冷静(クール)で情緒的(ウェット)」な方なので、♣「親(しん)」の要素が強いようです。
とはいえ、“冷静と情熱のあいだ”を行ったり来たりの自分もいる…

かがみ先生いわく、「人には色々な顔があるように、どれか1つだけがあるという訳ではなく、4つの魂すべてあって、ただどれかが強い」ということだそうです。
さらに、この4つの魂はバランスを取りながらどんどん成長していくそう↗↗↗↗


次に、それぞれの特徴(世界観)や天命はこちら。。。↓

☆特徴(世界観)&天命☆
♠「勇」…話を聞かない、行動する、ものごとを前進させるために行動する人生(達成)
<天命>⇒新しくする、立ち上げる、挑戦する、前進させる、開拓する、達成する、戦う、合理化する、耐える、巻き込む

♥「愛」…思いやりが大切、尽くす、互いに必要とされ幸せを求める人生(相愛)
<天命>⇒教える、育てる、治す、救う、助ける、お世話する、癒す、尽くす、元気づける、導く

♦「智」…マイペース、考える、自分なりの美意識を貫き、興味を探求する人生(興味)
<天命>⇒発明する、探求する、観察する、極める、企画する、解決する、美しくする、創る、評価する、無駄をなくす

♣「親」…波風を立てない、調和する、自分を律して周囲に平和をもたらす人生(平和)
<天命>⇒管理する、役に立つ、守る、徹底する、場をつくる、調和する、応援する、繋ぐ、保つ、仲よくする


ご覧になって分かるように、天命は「医者」などの名詞ではなく動詞になっています。
ここがポイント! 

例えば「医者になりたい」という夢を持っていても、何かの理由で挫折した場合、その道が閉ざされてしまうことになります。本人にとっては大変な絶望感。

けれど、「救う」という動詞であれば、医者にはなれなくとも、また別の救う職業を考えられます。
つまり、一生取り組めること、生きる目的を見つけられるのです。

しかも、これらの天命動詞はどれも世の中に必要なことばかり。
私たちは誰かに必要とされ、自分が役に立ち喜ばれた時に幸福感を抱くようにできているそうです。
そしてこれこそが私たちが生まれた意味、魂が本当に求めているもの。素晴らしいですよね(*^_^*)

上の動詞の中でなぜか心動かされる、心に響く…という言葉があれば、それが天命動詞だそう☆
小学生の子どもでも見つけられるそうですよ。
(それぞれの天命動詞について、もう少し詳しい説明は本に書かれています✎)

かがみ先生は、すべての人がかけがいのない存在、オンリーワンであると考え、子どもの頃から「自分の価値を知り、人の価値を認められる人間」になる教育をすすめています。
ひとりの人間として充実した人生を歩むために。そして幸せになるために。。♡

ぜひみなさんもご自身の「魂」と「天命」を探してみてください(^_^)/~

この本、子育てに限らず、自分や人間関係を知るのに新しい扉を開いてくれます。
ちなみに、私がピンと来た動詞は「繋ぐ」かなぁ。
人と人、人と本、人と芸術、現在と過去、あの世とこの世?!…色んなものを繋いでいけたらと思います♪

2014年9月20日土曜日

徹底的に自分を愛する❤

昨日は大事な仕事でヘマをしてしまい、一日中凹み気味・・・
自分に悔しくて、情けなくて、やっぱり向いてないのかなって、どんどん落ち込んでいく~↘↘↘
こぴっと気持ちを引き締めなければならなかったのに、すっかり油断してました(>_<)

でも、私にはこの本がある!
『世界でいちばん自分を愛して』❤ 
(中野 裕弓ひろみ、通称ロミさん著、2011年)


「ラブ・ユアセルフ コンプリートリー (Love yourself completely)」自分自身を大切にして、自分に徹底的に愛を注ぐこと。
自分のホンネを大切にし、心地よいと思うことを自分にしてあげて、落ち込んだり、失敗したときなどは、叱咤激励ではなく、自ら優しくかばってあげることです。
どんなにひどいときでも自分を見捨てない。
自分が、今の等身大の自分を「これでいいのだ!」と認めなければ、誰がその役を引き受けてくれるのでしょう。
自分を褒めて、褒めて褒めまくってください。「いい線いってる~」と。
人は生きているだけで、どこかで誰かの役に立っているとわたしは思います。
笑顔で人に接するだけで、価値があると思います。
そんなにハードルを上げないで、ちょっとしたことでいいのです。
後悔したり、自分を責めたりする「反省」は、いりません。
何か、失敗をしたとしても、自分を責めるのではなく、ただ、起きたことを冷静に分析すればいい。それだけです。

こうして「罪悪感」や「反省・戒め」、「こうでなくてはならない」という自分の物差し、「誰かと比べること」、「使命感」、そして「正しく生きようとする心」を手放し、無条件に自分を愛する❤

自分が満たされると、注いだ愛は自分のカップから溢れ出し、周囲の人も幸せで満たし始めます。
さらに注いでいると、やがて、世界中に幸せが広がっていく……。

これがロミさんがご自身の経験から体得した、
「他人よりもまず自分に徹底的に愛を注ぐ。それによっておのずと人生が好転する」
という「愛のコーヒーカップ理論」だそうヽ(^o^)丿♫

♡ 自分よりも他人を優先しなくていい
e.x. 疲れてヘトヘトなのに電車の席を譲らなくてもいい。誰か別の人が譲ったかも…

♡ “いい人”を演じなくていい
e.x. 大好きなモンブランケーキはまず先輩の自分が選んでいい。

という例も面白かったです(^^♪


普通のOLから世界銀行の人事カウンセラーへ…
ロミさんのこれまでが書かれた『幸運を引きよせる「もう一人の自分と出会う本』(2008年)もgood!

そういえば、おととい人生の師匠(←勝手に私が思っている…)から頂いた心温まる言葉☆
私たちにとって大切なもの。。。それは「愛と夢と希望」♪
あれ、私もう復活してる↗↗↗(*^^)v