2019年10月2日水曜日

打席に立てることをよろこぼう!

「ほぼ日刊イトイ新聞」の原稿から厳選された、ボールのようなことば。
糸井さんからのボール、しっかりとキャッチしました(*^^)v


*  *  *  *  * 
どんな人にも、こどものころから、
心臓がバクバクするようなことがある。
少年サッカーであろうが、合唱コンクールであろうが、
なにかの試験であろうが、お見合いであろうが、
失敗したらどうしようという場面はある。 
そのときに、緊張感があることは、
実は「いいこと」なのだと思うのだ。
生きていて、チャレンジしているからこそ、
そんなふうな場に立っているということなのだ。
そういう場にいることが憧れであるような人だっている。 
失敗したらどうしようなんて考えるような時間には、
機会(チャンス)というやつが隠れているのだ。
だから、おもしろいのだ。 
ぼくは、よく「打席に立てることをよろこぼう」と言う。
怖かったり、緊張したりするような場面に、
「君が立っていい」と認められている。
それは、すばらしいことだと思わないか。
ああもしてやろう、こうもしてやろうと、
にやにや、わくわくしたらいい。
胸がドキドキだとか、心臓バクバクだとかは、
買おうとしても買えない機会なのだ。

~糸井重里「みっつめのボールのようなことば。」p.188-9より~

2019年6月5日水曜日

“愛と傷”

韓国のベストセラー本☆
『+1cm(プラスイッセンチ) たった1cmの差があなたの世界をがらりと変える』2016年)



見方を少し変えるだけで、本当に世界が180度変わる本!
何より絵がかわいくて、絵本みたい♡


*  *  *  *  *
愛と傷
あなたの人生における、脇役の人たちに
むざむざと傷つけられてはいけない。 

そんなときには代わりに
人生において大切な役割を担う人たちには
愛され、大事にされていると思い出そう。
顔を合わせたことがあるだけの同僚が悪口を言ったとしても
昔から知っている人はあなたを正しく評価してくれる。 
通りすがりの人があなたを突き飛ばして行ってしまっても
助け起こし「大丈夫?」と心配してくれる人がいる。 
初対面の人に冷たくされても
そばで温かく思いやってくれる人がいて 
ライバルや知らない誰かが
あなたの能力を妬んだり、やる気をそごうとしても
あるがままの姿を信じて愛してくれる人たちがいる。 

あなたを、よく知っている大切な人がくれる愛の確かさと
あなたを、よく知りもしない他人が与える痛みは
決して釣り合うことはない。 

痛いの痛いのとんでいけ。 
心にはもらった愛だけ残そう。

~キム・ウンジュ(文), ヤン・ヒョンジョン(イラスト), 簗田順子(訳)『+1cm』, p.122-123より~

2019年3月31日日曜日

人生の主人公になる

前回も取り上げたお寺の住職、枡野俊明さんの本がとても良いです。
今回読んだのは『比べず、とらわれず、生きる』 

例えば、とかく女性は「○○(家事や子育て)しかしてこなかった…」と言いがちですが、「私は○○(家事や子育て)をしてきました!」と堂々と言う。
胸を張ってそう言った時、人は「人生の主人公になる」という言葉が印象的でした☆彡



*  *  *  *  *
人生の主人公は、あなた自身
…禅でいうところの「主人公」とは、「本来の自分の姿そのもの」という意味を表しています。… 
「私の人生はこんなものなのか」
「どれがほんとうの私の人生なのだろう」
「自分自身が見えなくなってきた」 
と、こういう悩みを抱えている人に時おり出会います。
きっと、自分の生き方を真摯に見つめているからこそ出てくる悩みなのだと思います。
何も考えずに生きている人は、そんなことで悩みませんから。 
一生懸命に自分探しをしているからこそ生まれてくる悩み。
私はそういう人に対して言います。 
「今あなたが歩いている道。それがあなたの人生であることを信じてください。もしかしたらその道は、いつかは変わってしまうこともあるでしょう。それでも、道が変わるまでのあいだは、今歩いている道を迷うことなく進んでいくことです」と。… 
主人公になるか否かは、結局は、自らの心の持ち方次第だと思います。
今、与えられている環境の中で、一生懸命に自分に与えられた役割をこなしていく。
隣の道に気を取られることなく、今自分がやるべきことに、心を尽くしていく。
そんな気持ちで生きることこそが、人生の主人公になるということなのです。
「隣の芝は青い」といわれるように、人はついよそ見をしてしまいます。
他の人が歩いている道を羨ましく思う。
自分のいる世界がいかにもつまらないように思う。
淡々とした日常生活に嫌気がさすときもあるでしょう。  
しかし、よそ見をしたところで何もいいことはありません。
たとえば、隣を歩いている人のことを羨ましいと思い、自分もその道に入ってみたいと思う。
ところがいざ他人が歩いている道に入ってみたら、そこは歩きにくくて仕方がない。
当たり前です。隣の道は、隣の人の人生だからです。
他人の人生の舞台に顔を出したところで、あなたは主人公にはなれません。
主人公になれる場所とは、自分自身に与えられた道しかないのです。 
ときに自分が歩いている道が、どうしても合わないと感じることもあるでしょう。
どんなに努力しても歩きにくいと感じることもあります。 
しかし、人生とは面白いもので、本当にその人に合わない道であれば、必ずその先には分かれ道が現われます。

その分かれ道に出会ったときに、立ち止まって考えればいい。
道が分れることなく続いているときには、ともかく一生懸命に歩を進めることです。
今、あなたが歩いているその道を信じることです。
~枡野俊明著『比べず、とらわれず、生きる』 より~

2019年1月20日日曜日

「小さな悟り」②~人と比べない!


*  *  *  *  *
絶対、自分を嫌わない
―そのためには「人と比べない」こと

●自己嫌悪は、いつもここから生まれる
誰しも、自己嫌悪に陥ることはあるでしょう。
そんなときは、どうしてそうなったのかをよく考えてみてください。 
誰かと比べて自分のほうが下だと考えていませんか?
世間の価値観や評価と照らし合わせて、自分はレベルが低いと考えていませんか? 
そんなことは無意味です。
比較さえしなければ、ここに「あるがままの自分」がいるだけ。
何も嫌悪するほどのことではないのです。 
なぜなら、自分を測る“物差し” が元来、万人の価値を決めるほど正確にして絶対的なものではないからです。 
たとえうまくいかないことがあったとしても、それによって自分自身の価値が上がったり、下がったりすることはありません。 
仏教の教えでいうなら「露(ろ)」―過ぐることなく、欠けることなし。
自分という存在はそのまんまの自分なのです。
そもそも自分で自分を嫌って、どうするのですか。
それほどみじめなことはありません。
自分を一番好きになってあげられるのは、自分自身なのですから。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~

2019年1月14日月曜日

「小さな悟り」①~脱世間の平均!

昨年から『小さな悟り』という本を何度も読み返しています(^_^)
著者は『心配事の9割は起こらない』を書いたお寺の住職、枡野俊明(ますのしゅんみょう)さん。

ここ最近、何かと慌ただしく、気持ちに余裕が無かったのですが、だいぶ心が整いました(#^.^#)

心に余裕がある時に冷静に考えられるのは当たり前。

何か問題が起こった時、余裕が無い時にも周りに惑わされず、シンプルに考える!!
2019年はそう心掛けたいです♪


*  *  *  *  *
世間に照らし合わせない
―自分の価値観にしたがって生きる

●「ワンランク上の暮らし」という幻想 
マスコミは連日のように、「世間の平均値」のようなものを発表しています。 
たとえば年代別の年収の平均値や、結婚年齢は平均何歳だとか、マイホームを購入するのは平均何歳、平均貯蓄額はいくら、老後を豊かに暮らすための資金は平均いくら……もう平均だらけです。 
加えて、その平均値をもとに「ワンランク上を目指そう」的な特集記事・特集番組まで組まれています。 
そして「人並み以上」を気にする人たちは、その数字に踊らされて、がんばってしまうところがあります。 
それはいいかえれば、人並み以上に見られることを目標に生きるのと同じです。疲れませんか? 
「私はこういう生き方をしています。それがみなさんの目にどう映るか知りませんが、評価は勝手にどうぞ」でいいではありませんか。 
世間を気にせず、自分の価値観にしたがって自由に生きていけます。 
もともと実体のない世間というものの平均を表した数字に、どれほどの意味もありません。 
自分の感じる豊かさや幸せは、そういった平均値とは無縁なのです。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~

2018年10月5日金曜日

「そういうふうにできている」

さくらももこさんの本を初めて読んでみてびっくり!!

ちびまるこちゃんのアニメのイメージしか無かったので、こんなに文章が素晴らしく上手で、面白可笑しかったなんて!
しかも精神世界について、ここまで深い洞察力をもって書かれていたとは!!

『そういうふうにできている』は、さくらももこさんご本人の妊娠~出産後までの記録です(^o^)
下は帝王切開の手術の際に気付いたという、脳と心と魂の関係について♪


脳と心と魂とは、全部別々のものであるというのが私なりの結論である。
三つとも別々なのだが、非常に密接につながっているので混同してしまったり、何が何だかわからなくなってしまいがちだったのだ。 
まず、魂と呼ぶものだが、これは“意識”と言い換えた方がこの場での説明がしやすい。
魂でも意識でも或いはエネルギーでもでも、本質的には同じだという事もわかったのだが、“魂”という言葉は何となく『大和魂等』のように根性や変な熱が入ってしまう恐れがあるし、エネルギーやという言葉もやや使いにくいので一応“意識”という言葉を選んで話を進めてゆくことにする。 
この“意識”こそ、私は本来の自分そのものだと思う。…
“意識”とは、自分の根本のピュアなエネルギーの波動なのだ。 
私は手術開始からほどなく、自分が肉体とは別のエネルギーの波動である事を実感としてとらえていた。
それはただゆるやかで静かで心地よく、宇宙空間を漂っているようであった。 
この“意識”エネルギーが、地球に降りてきて他の者と交流する時に必要なのが肉体である。 
肉体全体が、“意識”の乗り物としてうまくシステム化されて作られている機械であり、その中でも“脳”という部品は、「感情表現」「情報を交換する際の言語駆使」「肉体の様々な器官への命令」等をとり行うコンピューターシステムなのだ。 
肉体と“意識”は別々だが密接につながっている――この事は昔からよく言い伝えられている事だが、実感したのは初めてであった。 
では、“心”とは何か。…今回の発見で一番面白いところがここである。 
“心”に実体はなかったのだ。“脳”は肉体の一部であり、“意識”はエネルギーだ。
だが“心”は実存するものではない。“心”とは、状態のことだったのである。 
“意識”が、肉体の一部品である“脳”を使い言語で思考したり感情や情報を伝達したりしてこの世で生活してゆくという、その“意識”が脳を使用している状態”が“心”なのである。 
だから、この手術で麻酔が効いて、“脳”のコンピュータシステムが休止した際に言語が止み、“意識”だけがあからさまになったのだ。
局部麻酔ですら私の場合は“脳”の機能は少し止まったが、全身麻酔でなかったからこそ、“意識”のみになった状態を把握できる位には半覚醒していられたのだ。…  
~さくらももこ著『そういうふうにできている』より~

2018年7月16日月曜日

OSHOさんの言葉②

インドの宗教家・思想家、OSHOさん(1931-1990)の講話集、「Intuition」(直観)より。
OSHOさんの言葉に共感!


*  *  *  *  *
私はあなた方にこの話を聞いてほしい。
きっと役に立つだろう。
「動物学校」と呼ばれている物語だ。 
動物たちがある日、森の中に集まって、学校を始めることにした。
そこにはウサギ、鳥、リス、魚、ウナギがいた。
そして彼らは理事会を作った。  
ウサギはランニングを教材にするべきだと主張した。
鳥は飛翔を教科にするべきだと主張した。
魚は水泳を教科にしなければいけないと主張した。
そして、リスは垂直木登りは絶対に教科に必要だと主張した。 
彼らはこれらのことをすべて一緒にし、教科案内を書いた。
それから、彼らはすべての動物がすべての教科をとるようにと主張した。 
ウサギはランニングでAを取ったが、垂直木登りは彼にとって実に問題だった。
彼は後ろ向きに落ち続けた。間もなく、彼は脳損傷のようになり、もはや走ることができなくなった。
自分がランニングでAを取る代わりにCを取り、もちろん、垂直木登りでは常にFを取ることに、彼はやっと気が付いた。 
鳥は飛翔ではとても美しかったが、土に穴を掘ることとなると、あまりうまくできなかった。
彼はくちばしと翼を何回も折った。
間もなく、穴掘りでFを取ると同時に、飛翔でもCを取るようになった。
そして、垂直木登りでも悲惨な時間を過ごした。  
最終的に、クラスの総代になった動物は、すべてを中途半端に行ったウナギだった。
しかし、教育者はみな幸せだった。全員がすべての学科を取ったからだ。
そして、これは「広範な基礎を持つ教育」と呼ばれた。
私たちはこの話を笑うが、これは今のありようだ。
あなたに起こったことなのだ。 
私たちは実は、すべての人を他のすべての人と同じようにしようとしている。
そして、すべての人の自分自身でいる可能性を破壊しているのだ。…
全く新しい種類の教育が世界中で必要なのだ。…
誰一人として、他の誰かと同じではなく、それぞれにユニークだ――それが英知の本質だ――そして、それぞれは比べることができない。
あなた自身を誰かと比較してはいけない。
どうやって比較できるのだろうか?
あなたはあなたであり、他の人は他の人なのだ。
あなたたちは同じではなく、だから比較するのは不可能なのだ。

しかし私たちは比較するように教えられてきた。
そして、私たちはずっと比較してきている。
直接的に、間接的に、意識的に、無意識的に、私たちは比較の中で生きている。
そしてもしあなたが比較すると、あなたはあなた自身を全く尊敬しなくなる。… 
そして比較し続けると、あなたは悩み続ける。
何億という人がいるのだ。
あなたは自分の比較によって、押しつぶされるだろう。…

悩むのを止めなさい。重荷を下ろしなさい。全てを横にどけなさい。
あなたの無邪気さを、子供時代を取り戻し、回復しなさい。…
あなたは他の人によって教えられてきた――それはtuition(授業)だ。
あなたが教えられず、あなたの中で花開くもの、それがintuition(直観)なのだ。…
あなたはどこへもゆく必要はなく、あなた自身の内側へとゆく必要があるだけだ。
~「Intuition」, OSHO著(山川絋矢+山川亜希子訳)より~

2018年5月7日月曜日

OSHOさんの言葉①

翻訳家、山川夫妻の本に時々出てくるOSHOさんという謎の人物。。。
1931〜1990年、インドの宗教家・思想家として、たくさんの講話をされていたそうです。
日本でも、その講話をまとめた本が、いくつか出版されています。

最近読んだのは「Creativity」(創造性)
「創造性」って芸術家とか、クリエイティブな才能を持った人のものだと思っていたら、誰もが今いる場所で、すぐにでも創造的になれるのだということを発見!!


*  *  *  *  *
創造的であることは、あなたがすること、なすことすべてを愛すること――楽しむこと、それを祝福することだ。
それは誰にも気づかれないかも知れない――床をあなたが掃除していたとしても、誰もあなたを褒めてはくれないだろう。 
歴史に残ることでもなく、新聞にあなたの写真や記事を載せてくれるわけでもない。
しかし、そんなことは関係のないことだ。あなたはそれを楽しんだ。価値はそこにあるのだ。
だから、もし、あなたが名声を求めており、有名になれば自分は創造的だと考えるなら――もし、ピカソのように有名になったら、自分は創造的だというように――あなたは大事なものを見失うだろう。
そのとき、あなたは実際には少しも創造的ではない。あなたは政治家だ、あなたは野心家だ。 
もし、名声がやってくれば、それはそれで良い。そんなことが起こらなくても、それで良いのだ。そんなことは考えなくても良い。
考えなければならないことは、あなたがしていることをあなたは楽しんでいるかどうかだ。それはあなたの愛の行為なのだ。
もしあなたが心から微笑むことができれば、そして、誰かの手をとり、微笑むならば、それが創造的な行為、それも偉大な創造的な行為だ。
あなたの心で、誰かを抱擁するだけで、あなたは創造的だ。
誰かを愛のこもったまなざしで見るだけで……愛のまなざしは誰かの全世界を変えることができるのだ。
人は誰もがこの世界へある特定の運命を持って生まれてくる――何かを満たすために、何かのメッセージを伝えるために、何かの仕事を完成させるためにだ。
あなたは偶然にここに来たのではない――あなたがここにいるのは意味があるからだ。
あなたの背後には目的がある。全体があなたを通して何かを成し遂げようとしているのだ。
~「Creativity」、OSHO著(山川絋矢+山川亜希子訳)より~

写真:https://twitter.com/osho_bot_jpより

2018年4月2日月曜日

屋久杉アクセサリー♡

先週、久しぶりに友人と元氣カフェに行ったら、屋久杉を使った素敵なアクセサリーの展示販売に遭遇!!

どれもデザインが可愛くて、木が大好きな私は興味津々♡

色々迷った挙句、作家さんがつけていた3つ玉のネックレスを購入しました♪


一番上の白い玉も木で、木目がないバンカルという南国の木だそう。
下2つの木目くっきり、茶色い玉は屋久杉

ほのかな杉の香りに癒されます。
木の温もりって本当にいいですね~(*^_^*)

このネックレスは軽いので、私のような肩こりさんにもgood!!

作家さんは、いわのなつみさんという、まるで森の妖精のようなチャーミングな女性♡
「日本の女性と森を元気にしたい…」という思いで『森のピアス』を立ち上げ、制作販売をされています。

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☆いわのなつみさん 『森のピアス』
Instagram: 
https://www.instagram.com/dear_forest723/
Twitter: 
https://twitter.com/mori_pi723
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お店で撮って下さった写真もインスタにアップしてくれました! 嬉しい〜(^^♪ ↓↓
https://www.instagram.com/p/Bg87s-inUJu/?taken-by=dear_forest723 

4月6日(金)まで元氣カフェ(平日8~18時、月島駅徒歩1分)にて、展示販売されていますので、ご興味ある方はぜひご覧になってみて下さい!

https://twitter.com/mori_pi723/status/975363980507078657 より

先週は、なつみさんのお友達作家さんの布ブローチや、苔玉も販売しており、人生初の苔玉も購入してみました。


この苔玉、苔の土を紐でぐるぐるとまいて作るそうですよ!
土が乾いて軽くなったら、水に浸し、また飾るだけ(1週間位を目安)。

写真の苔玉の上には小さな木が生えていますが、他にたんぽぽや、ツル科の植物など、色々な植物を植えて苔玉と一緒に楽しむのだそうです♪

何かと慌ただしかった年度末、自然のパワーに元気をいっぱいもらった1日でした♡

2017年12月31日日曜日

「神様の配慮」

「神様の配慮」
~A Creed For Those Who Have Suffered~ 
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神様に求めた。
だが、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。 
より偉大なことができるようにと、健康を求めた。
だが、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。 
幸せになりたいと、富を求めた。
だが、賢明であるようにと、貧困を授かった。 
世の人々の賞賛を得ようと、成功を求めた。
だが、得意にならぬようにと、失敗を与えられた。 
人生を楽しみたいと、あらゆるものを求めた。
だが、あらゆることを喜べるようにと、質素な生活を与えられた。 
求めたもたものは、何一つとして与えられなかった。
だが、「人生の意味を味わいたい」「悔いのない生き方をしたい」という私の願いは、すべて聞き届けられていた。 
私は、今、気付いた。
私の人生は、あらゆる人の中で、もっとも豊かに、祝福されていたのだ。
『神様が書いた4つの詩』(星野海[絵], おかのきんや[解説] )より~


来年も豊かな一年になりますように♡

2017年12月30日土曜日

ギター2回目のロビーコンサート♬

昨年末から早くも1年!
今年もギターの発表会が無事に終了~♪

ヴォーカルクラスの生徒さんの歌に合わせ、「糸」を演奏しました(*^^)v
新たな課題を発見したり、他の生徒さんからの刺激を受けたり…発表会ではいつも色々気付かされます。
そして何より、日頃の練習が大事!! ということを実感!

ギターとウッドベース♬
なかなか、なかなか上達せず、楽しいだけでなく大変なことも多いですが、これからも一歩ずつ、焦らずに続けていきたいと思いますヽ(^o^)丿

来年の課題は、いかに練習時間を作るか、だなぁ。。。

2017年10月26日木曜日

「人はいくつになっても美しい」

世界最高齢の現役モデルとしてギネスブックにも認定されたダフネ・セルフさん♪
彼女が88歳の時に書いた自伝&エッセイ、「人はいくつになっても美しい」を読みました。

スーパーモデルというと、私たちとは全く違う世界に住んでいるのでは…と想像していましたが、普通の主婦&3児の母から70歳でモデル復帰…という経歴からも分かるように、その生活はとっても自然体。

年齢やブランドにこだわらず、本当にやりたいこと・好きなものに対して好奇心旺盛に、自分の信念を貫く、凛とした姿が素敵です。

ダフネさんのように年を重ねたい!と思わせてくれるお手本のような女性です☆


*  *  *  *  *
年齢はただの数字
歳を取ると、あたり前ですがシワもシミも増えます。体もどんどん弱ってきます。
それでも、年齢を重ねれば重ねるほど、美しく輝いて見える人がいます。 
私は、そんな人たちの持つ「美」とは、これまで歩んできた人生の経験と、経験によって授かった知恵が、その人のオーラになったものだと思います。

そういう人たちは、目の奥の輝きが違います。それに、表情も生き生きしています。
さまざまな経験を積んだ人の顔というのは、それだけで魅力的です。…

…ビューティーとは表面上の美しさだけを指すのではないと、私は思います。
心と外見は常にリンクしていて、それはつまり、自分がこれまで歩んできた人生が、はっきりと顔に映し出されるということです。

歳を取りなくない、と言う人がいますが、私にはどうもわかりません。
ちっとも怖がることじゃないのに、と思います。
それはいま言ったような理由からで、つまり年齢は私にとって、ただの数字でしかないから。

英語にはこんなことわざがあります。
「老いは誰もが通る道、成長は選んだ人が通る道」 
老いはみんなに訪れるけれど、成長は望む人にしか訪れない。
つまり、どう成長していくかはその人次第、ということ。
私の大好きな言葉です。 
「人はいくつになっても美しい」より ~
 *  *  *  *  *


この動画の中のダフネさんも素敵☆
とても88歳とは思えない姿勢の美しさに目が釘付けです!
まさに、人はいくつになっても美しい!!

2017年9月6日水曜日

キャンドルヨガ ☽

先月、「キャンドルヨガ ~月の礼拝~」に参加しました。
いつも通っている公民館での夜ヨガクラスの他、いくつかのヨガクラスとの合同のイベントです♪

この日のお月様は新月から2日目の細~い糸のような三日月☽

新月から満月へ向かう月の光にはプラスのエネルギーが満ちていて、それを浴びることで私たちにも良い効果があるそう。

ヨガでは、月の礼拝ポーズを含めた流れるような動きにチャレンジ!


そして、キャンドルを目の前に置き、「トラタク瞑想」という一点を見つめる瞑想を行います。
瞑想といっても、ただただキャンドルの炎を見つめるだけ。


キャンドルの炎には、浄化作用、目の疲れの緩和、心を落ち着ける…など様々な効果があるそうです。

生きもののように揺れ動くキャンドルの炎は、まるで自分の心の内を見ているよう。

その中でも、全く微動だにしないキャンドルの芯を見つめながら、自分自身の軸もこうありたい!と感じた瞬間でした。


なんだかとっても心が整った気分(^o^)

まぁ、こんな気持ちも長くは続かないため(^_^;)、ぜひともまた参加したいイベントであります。

この日の場所は公民館の中でも一番広く、眺めの良いお部屋で、たくさんの人が参加されていました☆


これだけの数のキャンドルを用意するのは、先生も大変だったと思います。
Yukiko先生、ありがとうございました♡

2017年8月30日水曜日

ほどほど ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅳ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの『103歳になってわかったこと』より、最終回のPart 4♪

*  *  *  *  *
自分の心が、ほどほどを決める
…私も長く生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりしてきましたが、どういう人の人生がいちばん幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。 
たとえば、あの人は素敵な人だったと思うけれども、その人の妻はどうだったかというと、苦労させられたのかもしれないと思いますし、この人は立派で尊敬できる人だったけれど、その人の子どもはどうだったかというと、親と比較されて悩んだ様子でしたし、いいことずくめの人は見つかりません。 
一つ得れば、一つ失うことは覚悟しなさい、ということなのでしょうか。
なにもかもが満足な人生はありえないようです。 
一方で、豊かになれば人は幸せになれると、人類共通して思ってきましたが、それもまた違ったようです。
私もずいぶん裕福な人を見てきましたが、裕福だから幸福だとは思えませんでした。
かといって、極度な貧乏もまた不幸です。 
それなら、一体どうしたら、人にとって一番幸福なのかと考えると、わけがわからなくなります。
どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。 
自分の心が決める以外に、方法はないと思います。
この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが一番いいと思います。
ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。 
私はまだ足りないと思う人は、いくらあっても足りません。
そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。
愛情を充分に与えられても、愛されていると自覚しません。
まだまだ足りないと思っているのですから。 
これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。 
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~

写真:篠田さんのアトリエ
2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より
*  *  *  *  *

上を見ればキリがなく、あれもこれも…とつい欲張りになってしまいます。
すると、なんだか心も体も疲れてしまう。

きっと、それは自分が本当に欲しているというより、「周りからこう見られたい…という他者目線」や「いつか何かの役に立つのでは…という未来目線」で物事を選んでいるのかもしれません。

もちろん、夢を描いたり、ワクワクすることは大事。
でも同時に、足るを知り、今、自分が心から本当にやりたいこと・欲しいものだけを選ぶようにすれば、人生はもっとシンプルで幸福感溢れるものになるのかもしれない…と感じました(^o^)

2017年8月27日日曜日

無駄の中の兆し ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅲ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの『103歳になってわかったこと』より。Part 3です♪

*  *  *  *  *
1+1が10になる生き方 
人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。… 
無駄にこそ、次のなにかが兆しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、兆しには気がつかないものです。 
無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。 
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。 
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。 …
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。…
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。 
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。時間も無駄にしています。 
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。 …
無駄はよくなる必然だと思っています。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~


写真上:ホテルのロビーに飾られている篠田さんの作品「人よ」
写真下:「人よ」制作中の篠田さん(当時92歳)

2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より 
*  *  *  *  *

何かに失敗して落ち込んでいる人。
今までやってきたことに意味はあるのか?…と考えてしまう人。
今、自分がやっていることは無駄なのでは?…と感じている人。
などなど・・・・・・

篠田さんからすべての人へのメッセージ♡

やっぱり無駄なことなんて1つもない!!!

2017年8月20日日曜日

人とは ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅱ~

篠田桃紅(しのだとうこう)さんの本、『103歳になってわかったこと』より。
共感した言葉Part 2です♪

*  *  *  *  *
先日、私の若い友人が、かつて、二人の同級生を自殺で失ったことを、打ち明けてきました。… 
若い友人は、同級生がなぜ自殺しなくてはならなかったのか、自分になにかできたのではないかと、積年、そのことが心の底にある様子でした。 
私は、納得しようとするのは、あなたの思い上がりです、と言いました。
人というものは、納得できないことのほうが多い。
自分たちの知恵では、わからないことのほうがずっと多い、と長く生きてきた年の功で教えました。
ですから、なぜ自殺したのか誰にもわからない、と。
人というのは不思議な生き物、かんたんに割り切れるものではないと私は思っています。
とても偉いものでもないし、そう愚かなものでもないとは思いますが、不思議な生き物です。 
人というものが、どういうものであるか、わからないから、文学、芸術、哲学、さまざまな活動をして、人は模索しているのです。 
なんでこんなことをやるのだろう、ということを一生懸命にやっているのです。… 
人はみな、なにかにすがっていたい、どこかによりかかるものがほしい。
その一役を買ってくれるのが、なにかに夢中になることだと思います。 
そして、芸術、スポーツ、宗教など、さまざまなものを生み出しているのだと思います。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 ~

写真:2016.1.9「SWITCHインタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅」より 

2017年8月19日土曜日

時間からの解放 ~篠田桃紅さんの言葉 Ⅰ~

美術家、篠田桃紅(しのだとうこう)さんの本、『103歳になってわかったこと』を読みました。

篠田さんの既成概念に捉われない、枠に収まらない生き方は、読んでいて心地よく、共感できる言葉がたくさんありました!

何回かに分けて、ご紹介したいと思います♪


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規則正しい毎日から自分を解放する 
私は、これまでスケジュールもなく生きてきました。
一切、スケジュールを立てません。
予定とか目標とかいうものを、あまり好まないからです。
自然のなりゆきにまかせて、生きています。… 
自分に規律というものは課さないし、外からも課せられないようにしてきました。
縛られたくないから目標も立てません。 
なにか目標を決めると、それに向かってやみくもに一生懸命になってしまいます。
そうすると、ほかが見えなくなります。 
私は、ほかにすごくいいものがあっても、目標のために、見逃してしまうことがいやなのです。 
人生は、道ばたで休みたいと思えば、休めばいいし、わき見をしたければわき見すればいいと思っています。 
今日中にあそこまで行かなければならないと決めるやりかたより、自然のなりゆきに身をまかせるほうが、無理がありません。
そのほうが私の性に合っています。 
規則正しい毎日がいい、とされていますが、なにをもって正しいのでしょう。
毎朝、決まった時間に起きて、食事をするのが規則正しいのか。
私は、一般的に規則正しい、とされていることからは、はずれた毎日を送っています。 
私の仕事は、絵を描くことですが、何時から何時まで描く、と決められません。
描いているうちに、夜が明けてしまうこともあります。
毎日、自分勝手な生き方をしています。 
規則正しい生活が性に合う人もいるでしょう。
計画を立てないとならない事情も、ときにはあるでしょう。 
しかし、あまりがんじがらめになると、なにかを見過ごしたり、見失っていても、そのことに気がつきません。
~篠田桃紅『103歳になってわかったこと』 より~
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そもそも、時間や時計は人間が作り出したものです。
大昔、人はもっと自然や自分の感覚に頼って生きていたのではないでしょうか。
だから、私たちの中に流れている時間の感覚というのは、今でも人によって違うような気がします。

私も小さい頃は、何をするにものろい…と言われた子どもでした。
銀行で働いていた頃は、「何時までにこれ、何時までにあれ…」と時間に急きたてられ、他の同僚たちのようにサクサク仕事をこなせず、毎日のように残業していました。

それは今なお変わらず、のんびりペース…
長年ずっと、周りの時間の流れの速さが、自分とは合わないような気がしてなりませんでした。

これを読んで、何か胸にストンと落ちた感じ。
こうでなければならない…という枠組から、また1つ解放された気がします(^_^)/

2017年6月5日月曜日

氣!

以前、友人に連れて行ってもらった元氣カフェというお店
古民家を改装して造られた糀(こうじ)カフェです♪

手作りの甘酒は、ご飯のつぶつぶ感が残っていて、これまでの甘酒の概念を完全に覆されました!
食後のデザートに頼んだのですが、主食にもなりそうです♡


こうじ入りの野菜ホットスムージーも、今までどうしてこういうのが無かったんだろう…という感じ(^o^)
冷たい飲み物が苦手な私もスープ感覚で頂けます♡


このお店に行って以来、「氣」という字がずーっと気になっており、、、
そんなある時、『心と身体のパフォーマンスを最大化する「氣」の力という本を発見!


そもそも「氣」とは「エネルギー」のこと。

この本によると、「氣」「米」の部分には八方に広がるという意味があるそうです。
というのは八方に通うものなので、でなくの字を使うとのこと。

さらに、「は日本人にとってエネルギーの源」とも、あるサイト「氣と気の違い」に書いてありました。なるほど~!!

目には見えないけれど、生きていく上で欠かせない大切な
難しい内容かなぁと思って読んだら、ガッテンできる内容がいっぱいでした☆

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わたしたちは自然の一部の存在であり、自然と常に交流することで生きています。  
呼吸はそのひとつです。身体の外部から空氣を取り込み、酸素と二酸化炭素の交換をおこなって、二酸化炭素を外に排出する。この一連の流れは、自然との交流そのものです。  
食物も同様です。身体の外から取り込んださまざまな食物を消化し、エネルギーを得て、そして排泄するという一連の流れは、自然との交流です。  
氣もこれらと同じです。自然とわたしたちとの氣の交流こそが「氣が通う」ということです。
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氣は出すことによって、新たな氣が入ってくるという性質を持っています。そうすることによって、氣は通うのです。
つまり、氣はつかえばつかうほど、元氣になります。  
氣は「溜める」ものではなく、「通う」ものだというのはとても重要なポイントです。
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氣が通っている状態を「元氣」といい、氣が滞っている状態を「病氣」といいます。
そして寿命を終えて「自分」という囲いがなくなると、大自然の氣に還っていきます。
このような視点で見れば、わたしたちの生命は、大自然の氣から生じ、大自然の氣に還るといえるでしょう。
この世に生を受けているあいだは、常に氣が通っているのが本来あるべき姿なのです。
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現代社会には「漠然とした不安に襲われる」という人が非常に多くなっています。
その不安から逃れるために、意識して「誰かとつながろう」「何かとつながろう」とする人もいますが、一時的に氣が紛れても、またそこはかとない不安に襲われているのが実情ではないでしょうか。
わたしはこの状態を「氣の欠乏症」と呼んでいます。
この広大な大自然において、自分が「個」としての存在でしかないとしたら、例えようのない不安を感じることでしょう。 
この、無意識にある「自然とのつながり」を実感できなくなり氣が滞ってしまった状態が、氣の欠乏症なのです。 
しかし、わたしたちはもともと自然の一部の存在なのですから、意識的に「つながろう」としなくても、もともと「つながっている」のです。
これを実感できたときに、この不安は影を潜めます。
~藤平信一心と身体のパフォーマンスを最大化する「氣」の力 

2017年5月7日日曜日

LA LA LAND♬

ようやく「LA LA LAND」を観ました~♪

とにかくすべてがお洒落な映画!
劇中の音楽や歌も良かった~♬

大音量で聴くウッド?ベースの音がすごくかっこよくて、ウキウキ&ワクワクしてしまいました(o^∇^)o
いつかこの映画でかかっていた曲を弾いてみたい!

早速サントラもGETし、GW中はずっと聴いてました(^^♪


印象的だった冒頭の渋滞シーン、練習風景と本番が一緒に観れるこんな動画がありました。


こんな風にスタジオで練習していたなんて、面白いですね~(^o^)
それに、やっぱり衣装だとカラフルでキレイ!

2017年4月17日月曜日

アミから学ぶ真実☆彡

ずっと気になっていた『アミ 小さな宇宙人』を読みました!

主人公の少年、ペドゥリートがアミという宇宙人と出会い、他の星に連れて行ってもらったりしながら、大切なことに気付いていく…というお話です。

著者のエンリケ・バリオスさんはチリの作家さん。
1986年にチリで出版されたこの本はベストセラーとなり、今では11ヶ国語に翻訳されているそうです。

イラストは「ちびまるこちゃん」のさくらももこさん♡

アミの言葉にハッとさせられることが満載でした!!


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 彼(アミ)は月の光を浴びた砂浜に身をよこたえて、海面にチラチラとうつる月の光に、うっとりと見とれていた。
 やがてその満月を見て笑って言った。 
 「なんて美しいんだろう。あの月は! 宙に浮いたままけっして落ちてこない。ペドゥリート、きみの星はとても美しいよ」 
 ぼくはいちどもそんなこと考えてみなかったけれど、たしかにそう感じた。夜空にまたたく大小の星、ひろい海、白い砂浜、そして、けっして落ちてこない月……。 
 「きみの星は美しくないの?」 
 彼は空の一点を凝視したまま、深いため息をついてこう言った。 
 「ああ、もちろん美しいよ。そして、みんなそのことを知っていて、とてもたいせつにしているんだ……」… 
 ぼくたちは自分たちの地球をたいせつにもしなければ、守ろうともしない。それどころか、へいきで壊してさえいる。
 でも彼らは自分たちの星をとてもたいせつにしている。
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「起こらなかった問題やこれからもけっして起こりもしない問題を心配して、頭をなやませて生きて行くのをやめて、もっと“いま”というときを楽しむようにしなくちゃ、と言っているんだよ。 
人生は短いんだ。もし現実に、なにかの問題に直面したときはそれに全力であたって解決すればいいんだ。… 
この“いま”という瞬間を、こんな美しい夜をじゅうぶん満喫しなかったら、それこそなんとおろかなことだろう……。 
よく見てごらん! 小鳥たちがなんの心配もせずにとびまわっているのを。 
どうして、じっさい起こりもしないことに頭をなやませて、現在を犠牲にしなくてはならないんだい?」
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ここに載せたのはアミの言葉のごくごく一部。
読み進めると、この宇宙で一番大切なものが何か…が分かります♡

この本、フィクションですが、私はノンフィクションだと思います(^^♪