2012年9月25日火曜日

「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」

ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)など、先住民のくらしや考えに惹かれます。

『アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉』(エリコ・ロウ, 扶桑社, 1999)という本には、彼らの素晴らしい知恵や格言がたくさん散りばめられています。
私はこれを読んで本気でインディアンになりたい!!と思ってしまったほど(*^_^*)

例えば…
「目で判断せずに、こころで判断しろ」 
 ―シャイアン族の格言
「偶然の出会いには、深い意味がある」 
「慌ただしい日々こそ、だんらんを大切にする」
「血はつながらなくとも、こころはつながる」 
「食べている子供に語れば、親が去った後にもその記憶は残る」 ―ネズパース族の格言
「頭でなく、こころで学ぶ」 
「覚えても 学んだとは限らない」
「答えがないのも 答えのひとつ」―ホピ族の格言
「過去を忘れ、心から怒りを消し去れ。どんな強い人間もそんな重荷に耐え続けることはできない」 ―チェロキー族の格言
「敬虔に生きるのに、特別な宗教はいらない」
「時計ではなく、自分が刻むリズムで暮らす」
「いくつになっても遅すぎるとは思わない。やり残したことは、次の人生できっとやれる」
「死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ」  ―ドゥワミッシュ族の格言
「直感やインスピレーションを大切にする」
「祖先の生き方に還るのは、文明の後退ではない」
「泣いたら、その分笑う」
などなど…
いかがでしょう?
どの言葉も決して古びない、むしろ今を生きる我々が忘れかけている大切なこと。
人間の生き方の本質をシンプルな言葉でズバッと言い当てているように思います。

著者のエリコ・ロウさんは、アメリカ在住の日本人女性ジャーナリスト。
ネイティブ・アメリカンの様々な部族の長老や賢者たちとの交流の中で直接教えを請い、伝授された言葉だそうです。 
私も直接教えを請いたい\(^o^)/

アメリカ、アリゾナ州にあるセドナという町 (グランドキャニオンより南に2時間)。
900年~1350年、ネイティブ・アメリカンが数々の住居をセドナのレッド・ロック岩壁に建設。農作業を中心に、バスケット、陶器、ジュエリーなどを作っていました。
しかし、1425年までにはこれらの居住地を捨て去り、姿を消してしまいます。その理由は諸説あるものの、現在でも不明だそう。


セドナはボルテックスと呼ばれるパワーの強い岩山が多く存在するパワースポット。
その岩山から放出される地球のエネルギーを浴びに世界中から多くの人々が訪れます。
その中でもとりわけ有名なパワースポットが大聖堂に似たカセドラルロック。女性的エネルギーが強いため、ここに登ると心が安らぎ、あたたかいパワーに包まれるそうです。

2012年9月9日日曜日

人間にとって最大の喜びとは…

昨日は義母の七回忌でした。
6年前、胆管がんで亡くなったのですが、死が迫っていたある時、病床で聞いたことがあります。
「今、一番何をしたい?」

すると、義母はこう答えました。
「パパ(義父)にご飯を作ってあげたい」 

人はたとえ死の間際でも、誰かに何かをしてあげたいと思うんだ…と驚きました。
同時に、それまで家事を面倒に思っていた私に喝を入れてくれた言葉でもありました。

生命科学者の柳澤桂子さんも15年におよぶ闘病体験をふり返り、『認められぬ病』(1998, 中公文庫)という本にこう綴っています。
私は自分が動けなくなって、病むことの最大の苦しみは、人のために何かをしてあげることができなくなることであると気づいた。
いいかえれば、人間の最大の喜びは人のために何かをすることである。
自分自身のために何かを求めても、その欲求は際限なく増大するばかりで、けっして満足は得られない。
人のために何かをすることによってはじめて、こころを満たすことができる。…
弱者は人間にとって何が一番大切かということを、教えてくれる存在ではなかろうか。
これらのメッセージは私の心の深い部分にまで届き、今につながっているような気がします。

6年前の母の日、義母に送ったクレマチスは枯れてしまいましたが、私の実家に送った同じクレマチスは庭で成長し、毎年咲いているそうです。