2019年10月2日水曜日

打席に立てることをよろこぼう!

「ほぼ日刊イトイ新聞」の原稿から厳選された、ボールのようなことば。
糸井さんからのボール、しっかりとキャッチしました(*^^)v


*  *  *  *  * 
どんな人にも、こどものころから、
心臓がバクバクするようなことがある。
少年サッカーであろうが、合唱コンクールであろうが、
なにかの試験であろうが、お見合いであろうが、
失敗したらどうしようという場面はある。 
そのときに、緊張感があることは、
実は「いいこと」なのだと思うのだ。
生きていて、チャレンジしているからこそ、
そんなふうな場に立っているということなのだ。
そういう場にいることが憧れであるような人だっている。 
失敗したらどうしようなんて考えるような時間には、
機会(チャンス)というやつが隠れているのだ。
だから、おもしろいのだ。 
ぼくは、よく「打席に立てることをよろこぼう」と言う。
怖かったり、緊張したりするような場面に、
「君が立っていい」と認められている。
それは、すばらしいことだと思わないか。
ああもしてやろう、こうもしてやろうと、
にやにや、わくわくしたらいい。
胸がドキドキだとか、心臓バクバクだとかは、
買おうとしても買えない機会なのだ。

~糸井重里「みっつめのボールのようなことば。」p.188-9より~

2019年6月5日水曜日

“愛と傷”

韓国のベストセラー本☆
『+1cm(プラスイッセンチ) たった1cmの差があなたの世界をがらりと変える』2016年)



見方を少し変えるだけで、本当に世界が180度変わる本!
何より絵がかわいくて、絵本みたい♡


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愛と傷
あなたの人生における、脇役の人たちに
むざむざと傷つけられてはいけない。 

そんなときには代わりに
人生において大切な役割を担う人たちには
愛され、大事にされていると思い出そう。
顔を合わせたことがあるだけの同僚が悪口を言ったとしても
昔から知っている人はあなたを正しく評価してくれる。 
通りすがりの人があなたを突き飛ばして行ってしまっても
助け起こし「大丈夫?」と心配してくれる人がいる。 
初対面の人に冷たくされても
そばで温かく思いやってくれる人がいて 
ライバルや知らない誰かが
あなたの能力を妬んだり、やる気をそごうとしても
あるがままの姿を信じて愛してくれる人たちがいる。 

あなたを、よく知っている大切な人がくれる愛の確かさと
あなたを、よく知りもしない他人が与える痛みは
決して釣り合うことはない。 

痛いの痛いのとんでいけ。 
心にはもらった愛だけ残そう。

~キム・ウンジュ(文), ヤン・ヒョンジョン(イラスト), 簗田順子(訳)『+1cm』, p.122-123より~

2019年3月31日日曜日

人生の主人公になる

前回も取り上げたお寺の住職、枡野俊明さんの本がとても良いです。
今回読んだのは『比べず、とらわれず、生きる』 

例えば、とかく女性は「○○(家事や子育て)しかしてこなかった…」と言いがちですが、「私は○○(家事や子育て)をしてきました!」と堂々と言う。
胸を張ってそう言った時、人は「人生の主人公になる」という言葉が印象的でした☆彡



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人生の主人公は、あなた自身
…禅でいうところの「主人公」とは、「本来の自分の姿そのもの」という意味を表しています。… 
「私の人生はこんなものなのか」
「どれがほんとうの私の人生なのだろう」
「自分自身が見えなくなってきた」 
と、こういう悩みを抱えている人に時おり出会います。
きっと、自分の生き方を真摯に見つめているからこそ出てくる悩みなのだと思います。
何も考えずに生きている人は、そんなことで悩みませんから。 
一生懸命に自分探しをしているからこそ生まれてくる悩み。
私はそういう人に対して言います。 
「今あなたが歩いている道。それがあなたの人生であることを信じてください。もしかしたらその道は、いつかは変わってしまうこともあるでしょう。それでも、道が変わるまでのあいだは、今歩いている道を迷うことなく進んでいくことです」と。… 
主人公になるか否かは、結局は、自らの心の持ち方次第だと思います。
今、与えられている環境の中で、一生懸命に自分に与えられた役割をこなしていく。
隣の道に気を取られることなく、今自分がやるべきことに、心を尽くしていく。
そんな気持ちで生きることこそが、人生の主人公になるということなのです。
「隣の芝は青い」といわれるように、人はついよそ見をしてしまいます。
他の人が歩いている道を羨ましく思う。
自分のいる世界がいかにもつまらないように思う。
淡々とした日常生活に嫌気がさすときもあるでしょう。  
しかし、よそ見をしたところで何もいいことはありません。
たとえば、隣を歩いている人のことを羨ましいと思い、自分もその道に入ってみたいと思う。
ところがいざ他人が歩いている道に入ってみたら、そこは歩きにくくて仕方がない。
当たり前です。隣の道は、隣の人の人生だからです。
他人の人生の舞台に顔を出したところで、あなたは主人公にはなれません。
主人公になれる場所とは、自分自身に与えられた道しかないのです。 
ときに自分が歩いている道が、どうしても合わないと感じることもあるでしょう。
どんなに努力しても歩きにくいと感じることもあります。 
しかし、人生とは面白いもので、本当にその人に合わない道であれば、必ずその先には分かれ道が現われます。

その分かれ道に出会ったときに、立ち止まって考えればいい。
道が分れることなく続いているときには、ともかく一生懸命に歩を進めることです。
今、あなたが歩いているその道を信じることです。
~枡野俊明著『比べず、とらわれず、生きる』 より~

2019年1月20日日曜日

「小さな悟り」②~人と比べない!


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絶対、自分を嫌わない
―そのためには「人と比べない」こと

●自己嫌悪は、いつもここから生まれる
誰しも、自己嫌悪に陥ることはあるでしょう。
そんなときは、どうしてそうなったのかをよく考えてみてください。 
誰かと比べて自分のほうが下だと考えていませんか?
世間の価値観や評価と照らし合わせて、自分はレベルが低いと考えていませんか? 
そんなことは無意味です。
比較さえしなければ、ここに「あるがままの自分」がいるだけ。
何も嫌悪するほどのことではないのです。 
なぜなら、自分を測る“物差し” が元来、万人の価値を決めるほど正確にして絶対的なものではないからです。 
たとえうまくいかないことがあったとしても、それによって自分自身の価値が上がったり、下がったりすることはありません。 
仏教の教えでいうなら「露(ろ)」―過ぐることなく、欠けることなし。
自分という存在はそのまんまの自分なのです。
そもそも自分で自分を嫌って、どうするのですか。
それほどみじめなことはありません。
自分を一番好きになってあげられるのは、自分自身なのですから。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~

2019年1月14日月曜日

「小さな悟り」①~脱世間の平均!

昨年から『小さな悟り』という本を何度も読み返しています(^_^)
著者は『心配事の9割は起こらない』を書いたお寺の住職、枡野俊明(ますのしゅんみょう)さん。

ここ最近、何かと慌ただしく、気持ちに余裕が無かったのですが、だいぶ心が整いました(#^.^#)

心に余裕がある時に冷静に考えられるのは当たり前。

何か問題が起こった時、余裕が無い時にも周りに惑わされず、シンプルに考える!!
2019年はそう心掛けたいです♪


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世間に照らし合わせない
―自分の価値観にしたがって生きる

●「ワンランク上の暮らし」という幻想 
マスコミは連日のように、「世間の平均値」のようなものを発表しています。 
たとえば年代別の年収の平均値や、結婚年齢は平均何歳だとか、マイホームを購入するのは平均何歳、平均貯蓄額はいくら、老後を豊かに暮らすための資金は平均いくら……もう平均だらけです。 
加えて、その平均値をもとに「ワンランク上を目指そう」的な特集記事・特集番組まで組まれています。 
そして「人並み以上」を気にする人たちは、その数字に踊らされて、がんばってしまうところがあります。 
それはいいかえれば、人並み以上に見られることを目標に生きるのと同じです。疲れませんか? 
「私はこういう生き方をしています。それがみなさんの目にどう映るか知りませんが、評価は勝手にどうぞ」でいいではありませんか。 
世間を気にせず、自分の価値観にしたがって自由に生きていけます。 
もともと実体のない世間というものの平均を表した数字に、どれほどの意味もありません。 
自分の感じる豊かさや幸せは、そういった平均値とは無縁なのです。
~枡野俊明著『小さな悟り』 より~