2013年1月20日日曜日

「…生きよ、今日が最後の日のように」

韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」(最終16話)に出てきた詩です。
踊れ、誰も見ていないかのように
恋せよ、傷ついたことがないように
歌え、誰も聴いていないかのように
働け、金が必要でないかのように
生きよ、今日が最後の日のように

アルフレッド・D・スーザ
このドラマは、自分に自信を持てないでいるパティシエのキム・サムスンが、様々な経験をしながら成長していく心温まる恋愛コメディです

「食事を共にすることは互いの魂を通わせること」

サムスンがパリ留学中にメモしたこの言葉の通り、あたたかな食を背景に、人は見かけでも名前でもない、心であることをを伝える作品。
素晴らしい言葉や本、音楽がストーリーにスパイスを加えています

その中でも、サムスンが人生の試練にある時、バス停の広告に書かれた上の「踊れ・・・」の詩を読み涙するシーンはとっても胸にせまりました。

  ( http://hyunbin.blog58.fc2.com/blog-entry-193.html より)
韓国では、日本以上に生活の中に芸術が浸透しているように感じます。
特に「詩」は、
現実離れした空言(そらごと)などではない。この世には詩でしか表現できない痛みや哀しみがある。 (イ・チャンドン映画監督)
一編の良き詩は人生の意味を変えてくれる。心の傷は必ず癒やされる。詩は治癒の力を持っている。 (詩人リュ・シファ)
と言われるように、韓国では身近で特別な想いがあるようです。
 (朝日新聞GLOBE 「詩集が読まれる理由」 http://globe.asahi.com/bestseller/101122/01_01.html

日本でも駅やバス停にこんな詩があったら、もっと人の心は休まり、精神的に豊かになるのではないでしょうか?
(日本では読む詩〈文学〉よりもメロディーに乗せた歌詞〈音楽〉の方が親しみやすいのかもしれませんね♪)

実は、上のバス停広告の詩には『恋せよ、傷ついたことがないように』というタイトルが一番上に書かれています。
これは韓国では若者に人気の詩人リュ・シファ(上に書いた詩人)が、2005年に実際に出版した詩集(※)の題名だそう。
バス停のシーンでは、この本の宣伝広告という設定でした。

(※スーザの上の詩をはじめ、ヒンドゥー教徒の戒め、イヌイット族の歌、中国の漢詩、アメリカインディアンの教え、古代エジプトの詩、ヘルマン・ヘッセ、タゴール、啄木の短歌などを翻訳したヒーリング・ポエム集)

まさにこの詩&タイトルは、「…キム・サムスン」のドラマの内容をそのまま表しているようでピッタリ(*^_^*)
そして、このドラマが韓国で放映されたのも2005年
その宣伝効果もあり、詩集は一時1位を記録する大ベストセラーとなったそうです。
もちろんドラマの方も韓国では最高視聴率50.5%をマーク
(コラボの力って素晴らしい☆)

ところで、上の詩の作者といわれているアルフレッド・D・スーザは、Father Alfred D'Souzaという神父さんだそうですが、詳しい経歴などは不明です。
上の詩ももともと彼の作かどうか…実は諸説あって確かではありません。
(古いアイルランドのことわざだともいわれています)

ただ、スーザ神父は別の有名な言葉を残しているのは事実で、こちらも世界中の多くの人々の琴線に触れているよう♡(↓)

*  *  *  *  *  *  *
For a long time it seemed to me that life was about to begin - real life.
But there was always some obstacle in the way,
something to be gotten through first, some unfinished business,
time still to be served, a debt to be paid.

Then life would begin.
At last it dawned on me that these obstacles were my life.


-- Father Alfred D'Souza

ずいぶん長い間、人生、すなわち“本当の人生”とはこれから始まるものだと思っていた。
ところが、行く手にはいつも様々な困難が立ちはだかった。
先に片付けなければならない用事があったり、仕事が残っていたり、当分何かに時間を取られそうだったり、返すべき借金があったり。
そういうものが済んでから自分の人生は始まるのだと思っていた。
しかし、私はようやく気付いた。こういった困難そのものが私の人生だったのである。

-- アルフレッド・D・スーザ神父
*  *  *  *  *  *  *

作者が誰であれ、素晴らしい言葉というのはそれをキャッチする人によって広く伝わっていくものなのですね。
次回もスーザ神父のこの言葉にちなんだものをお伝えしたいと思います(^_^)/


2013年1月7日月曜日

持ってみる (^^♪

あけましておめでとうございます。
あっという間に2013年ももう7日が過ぎてしまいました(^_^;)  早いですね…

新年といえば、New Year's resolutions…新年の誓い☆
作家の角田光代(かくたみつよ)さんが新年の「抱負」について書いた興味深い記事があったので、ここにご紹介したいと思います。

* * * * * * *
もう二十年以上、毎年毎年、元旦には抱負を書いている。大げさなことではなく、ただの紙に筆ペンで書きつけるのである。

二十年以上続けてわかったことがある。抱負は、その年内にはめったに実現しないが、何年かのちに、かなりの確率でその通りになる、ということ。
たんなる希望的観測みたいだけれど、よく考えれば、それは至極当然のことである。
抱負は、神仏にお願いするのではなく、自分自身に発破をかけるもの。
「ばりばり仕事をする」という抱負にすれば、その人の意識はぐっと仕事に傾く。
仕事が増えても苦にならないはずだ。
その年内にさほど変化はないだろうけれど、意識が変われば二年後、三年後、おのずと状況は変わってくる。

二十代のとき、出す本出す本みな売れず、重版がかかるっていったいどんな気持ちなのだろう、私にもその言葉を聞く日がくるだろうか、と思いつつ、元旦に「重版する」と抱負を書いた。
ちょっと無謀な抱負だったかもという不安もあった。
だって、私がどうこうして重版が決まるのではない、多くの人が読んでくれて、重版となる。
自分の決意や意思でどうにもできるものではない。

ところが、かなったのである。
それから七年後、はじめて自分の本が重版した。
私は七年前に書きつけた筆ペンの文字を思い出した。
これも嘘みたいに思う人もいるだろうけれど、今思えば、不思議な現象でもない。
「多くの人に読まれるような小説を書きたい」と願って書くものと、「少なくていいからわかってくれる人だけに読んでほしい」と思って書く小説とは、おのずと変わってくる。どちらも、その願いや思いを反映されたものになる。
もちろん、本の売れ行きには運も関係するけれど、七年間、私は自分の書くものについてずっと思い悩み、試行錯誤を続けていた。
だからはじめての重版が運のみだとは思わず、あの抱負を思い出したのである。 … 

~FANCL 「ESPOIR」 Vol.118, 2013年1月号, 角田光代 連載エッセイ 
“恋する”時間  第十回テーマ「抱負と恋愛」より~
* * * * * * *

私は日頃から計画を立てるのが苦手なので、新年の抱負にしても角田さんのように書いてみたことなど一度もないのですが、、、(^_^;)
今年は「少なくていいから…」ではなく「多くの人に…」と願いながら文章を書く!
まずはこのブログから始めてみようかと、今思い立った次第ですφ(.  .)

そして、抱負も大事だけれど、やはり「思い悩み、試行錯誤を続ける」時間も同じくらい大切なのですね。
無駄に時間を送っているように思えて実はその苦労と努力の時間こそ、将来花を咲かせるための貴重な肥料となる✿

ちなみに、「抱負」の「負」は「負ける」という意味でなく、「負う=持つ」という意味だそうです。
だから「抱負」は「抱え持つ」ということ。

まずは何でもいいから心に「持ってみる」のがいいのかもしれませんね(^_-)-☆
本年もよろしくお願いいたします(^_^)/