2016年5月6日金曜日

2つの心♡♡ ~「リトル・トリー」 より

少し前に『リトル・トリー』という本を読みました。
インディアン(チェロキー族)である祖父母との生活を綴った、著者フォレスト・カーターの自伝です。


祖父母の大きな愛情を一心に受け、リトル・トリー少年はインディアンの生き方を学び、成長していきます。
子ども向けの本かなと思ったら、とても深い教えが書かれていました。

祖母は話しつづけた。
「だれでも二つの心をもってるんだよ。
ひとつの心はね、からだの心(ボディー・マインド)、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。
からだを守るためには、家とか食べものとか、いろいろ手にいれなくちゃならないだろう?…
でもね、人間はもうひとつ心を持ってるんだ。… 
それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。
いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。 
からだが死ぬときにはね、からだの心(ボディー・マインド)もいっしょに死んでしまう。
でもね、霊の心(スピリット・マインド)だけは生きつづけるの。
そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。 
ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心(スピリット・マインド)しか持ってなかったらどうなると思う?
生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの霊の心(スピリット・マインド)しか持てない。
だから、何も深く理解することはできないんだ。 
それで、からだの心(ボディー・マインド)がますますのさばるから、霊の心(スピリット・マインド)はますます縮んじゃって、しまいには豆粒ぐらいになって、見えなくなっちゃうかもしれない。
もう霊(スピリット)をなくしちゃったのとおんなじだよね。… 
霊の心(スピリット・マインド)ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。
どうやって使うかっていうと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。 
からだの心(ボディー・マインド)の言うままになって、欲深になったりしないこと。
そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。
努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。 
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。
でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。
理解してもいないくせに愛してるふりをする。それじゃなんにもならない」  
ぼくはすぐに心に決めた。すべての人を深く理解するよう努力しようと。
ヒッコリーの実の大きさの霊(スピリット)しか持てないなんていやだから。
(p.75~76)

現代の私達でさえ子どもに教えないようなことを、昔からチェロキー族は年長者から子どもへと優しい言葉で受け継いでいたことに驚きました。
そして、1つ1つの教えに素直に耳を傾けるリトル・トリー少年のけなげな姿に感動☆

やはりインディアンの精神世界には惹かれるものがあります♡♡